和田宗春のプロフィール

昭和19年1月生

●学歴
 北区立神谷小学校卒業
 北区立王子中学校卒業
 都立城北高校(現・桐ヶ丘高)卒業
 早稲田大学第一商学部卒業
 早稲田大学教育学部卒業
 早稲田大学大学院政治学研究科修了(政治学修士)

●文京学院大学 非常勤講師(後期)、北稲門会幹事、聖学院小PTA会長(元)、北区剣道連盟役員、北区青少年委員(元)、オール聖学院フェローシップ推進員

●著書 『最年少議員奮闘記』『スキンシップ政治学I・II』『いろは歌留多の政治風土』『サクセス選挙術』『奪権』ほか →著書のページへ

●訳書 『シカゴ』C.E.メリアム、『社会変化と政治の役割』C.E.メリアム、『英国の議員はおもしろい』P.アーノルド、『政治発言』アントニー.ジェイ編

●趣味 剣道(錬士六段)、居合道(五段)、杖道(三段)、スキー(1級)、ジョギング、書店巡り、将棋、俳句

●家族 妻・紗千代、長女・洋子、次女・紀子
 


 王子中学2年生の時に政治家をこころざした私は、高校生になると選挙資金を得るためアルバイトをしたり、神戸製鋼所の株式を買ったりして準備をはじめ、大学・大学院の10年間は、選挙資金を蓄えるため交通費、食費を節約して通っていました。そうしたなかで、寄本勝美早大教授、福岡政行白鴎大教授、荒木昭次郎熊本県立大教授といった友人を得ることもできました。早大ではゴルフ部のマネージャーをつとめました。

 昭和46年、27歳、大学院生のとき神戸製鋼所の株を売って30万円の選挙資金をつくり、東京・北区の区議会議員選挙に立候補しました。地方政治、地方自治の重要性を考えた当時「学生政治家」のはしりとして注目されたわけですが、結果は2917票の得票で、52人中第34位で当選しました。

 政治家の二世でもない私は当時、いわゆる3バン(地盤、看板、鞄)の一つも持ちあわせておらず、選挙期間10日間のうち8日目まではなんら手応えを感じなかったのです。
 やはりなんら政治的なコネのない若造が選挙に出るなど、まちがっていたのか―― そう思いかけた矢先、異変が起きました。選挙戦も終盤に差し掛かったころになると、窓を少しあけて手を振ってくれる人や、玄関をあけて出てきて声をかけてくれる人が出てきたのです。この瞬間、はじめて私は勝利を予感することができました。どんなに辛くとも弱音をはかなかった若い仲間たちの情熱と、若者たちに理解を示してくれた先輩たちの「和の力」がもたらした勝利でした。

 区議1年生となった私は、交通対策特別委員長となり、東北、上越新幹線の現在計画反対の一本化に努めました。その後建設委員長を数度経験するなかで赤羽西口再開発、高速道路王子線の事業決定を実現。区長を区民が直接投票できる現在の制度の元となる準公選制などを提案して、昭和49年の自治法改正を結実させました。また、南北線の車両基地となった旧神谷掘埋め立て運動を10年間行い、今日、住民からその先見力を喜ばれています。地域の剣道クラブの会長、聖学院小学校の剣道ボランティアも十数年続けています。

 平成元年、政治改革のため「地方から政治風土を改革する会」をつくり地方議員約40名と共に現在まで運動しています。

 平成9年の都議選で初当選。平成13年、2期目を再選。
 都議会では、文教委員会副委員長、厚生委員会副委員長、行財政改革特別委員会理事、都議会のあり方検討委員会理事等を歴任。
 平成16年10月より都市整備委員会委員長。
 都議会民主党では、副幹事長、政策調査会長等を歴任。

 連続の3期目を目指した平成17年の都議選では落選。
 再起を期してボランティア活動実録については「私の剣道ボランティア」「私の都立病院ボランティア」をご覧下さい。住民相談活動を4年間つづけてきました。

 平成21年5月20日、東十条小学校の1500人を越す人々の激励で勇気づけられました。そして、再起をかけた同年の都議選で返り咲きを果たしました。
 都議3期目に復帰後、都議会では警察・消防委員会理事に就任。
 また、都議会第一会派となった都議会民主党の幹事長筆頭代行となりました。

 平成22年6月、第43代 東京都議会議長となりました。
 平成22年10月より民主党東京都連幹事長。

 

 

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