『坂本龍馬のどこが好きなんですか?』『坂本龍馬って何した人?』坂本龍馬フアンの方はこの様な質問をよくされませんか?
正直言いまして私は非常に困ります。単純明快な答えをすればいいのだろうと思うのですが、それでは私が満足できないし、質問した方をひょっとしたら龍馬フアンにでもしてしまたいぐらいの回答をできればしたいのです。まあしかし、自分の中で色々なイメージの龍馬が混在してその内の、どの龍馬が今でも私を魅了しているのかがよく判らない。これでは満足な答えなどできるはずもありませんね。
フアンのなかには多分、共感できないという方もいらっしゃると思いますが、私個人の龍馬像を強くイメージ付けたのは飛鳥井雅道氏の著作『坂本龍馬-幕末の自由精神-』の中に出てくる『孤独・凄爽』の二文字なのです。
〜幕末という時代のほんの一瞬を颯爽と駆け抜けたこの男は、誰からも理解されずに生涯を孤独
に生きたが、それらを感じさせず最後の瞬間まで自分を信じて行動した人物〜
龍馬は表面上は明るく、楽天的、気取るところがなくて、おおらか。一見すると粗野、豪放、
蓬頭垢面等々、暗さや陰険さとは無縁のようによく書かれています、そんなところが多くの人々に、好感を持って迎えられる原因なのでしょうか。
坂本龍馬は土佐藩脱藩の郷士でありながら、幕府の開明派、海軍奉行並・勝海舟(義邦)の門人
になります。この行動だけでも他の勤王の志士とは異質という感じで私には魅力的な人物です。
神戸海軍操練所の塾頭(実は私塾)になり、やがて亀山社中を結成。のちに海援隊となって貿易、幕府戦争に參加。薩長連合(薩長同盟)の実現に奔走して、その締結にも立ち会うことになる。明治維新の精神、『五箇条の御誓文』の基となった『船中八策』を作るなど・・・しかし、龍馬が活躍したのは、わずか5年にすぎません。
また多くの龍馬の小説は28才までの足取りが不明なのをいい事に学問をしなかったとか、はな垂れ、寝小便ったれ
(よばあったれ)といったフィクションで固めている場合が多いです。最近では、おちこぼれではなく実は成績優秀ではなかったのか?と言う記事もよく見受けます。(当時の砲術の稽古には算数や物理を使わないと着弾させることが難しいために在る程度の教養は必要)
大政奉還から王政復古の大号令が下るまでのわずかな間に、龍馬は武力倒幕を主張する薩摩や長州からも決して理解される存在ではなかった。土佐藩ですら理解出来ている人物はいなかったようだし、海援隊の同士達でも真に理解したというよりも理解出来た人物がいなかったのではないでしょうか?
晩年、最後の龍馬には不鮮明な像がたくさんあり、暗殺についてもたくさんの推理が成り立つ、もし生きていたら?なんていう小説(歴史にIFはタブー)もしょっちゅう出てきます。多くの出版本では無血革命論者と評価しているものが多いのですが、私はそうは思っていません。
土佐藩にはもちろんそのように想わせておいて、フタを開けるとその裏には武力討幕が隠れていたという説が私は大好きです。平和路線か武力路線のどちらかで考えてしまったらつまらないし、龍馬だからこその発想というか奇想天外な事をやってのけたのだと私は考えたいです。只、それを理解出来る人間が回りにいない為に誤解を生み、最期は暗殺と言う形で終わってしまったのではないでしょうか。その誤解は薩摩かもしれないし、長州かもしれない。いや幕府だったのかもしれません。 |