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アメリカ東部時間11日午前8時45分(日本時間同日午後9時45分)ごろ、ニューヨーク・マンハッタン南部の金融街にあるワールド・トレード・センターのツインタワービルに、民間航空機2機が激突し、ビルは炎上、同日午後10時30分ごろ倒壊した。
一方、午前10時ごろ、ワシントンにあるアメリカ国防総省にも民間航空機が激突、炎上した。ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外でも旅客機が墜落した。 死傷者は1万人を超えると見られており、これほどの大規模なテロは史上類がなく、目を覆いたくなる悲惨な光景がテレビの画面に映し出されている。 細かい数字は時々刻々と変化しており、ここで書くようなことでもないので、素人なりの私見を述べてみたい。 これほどの事件だけに、社内でも当然話題になった。それというのも、社内の人間が休暇でヨーロッパ旅行に出かけていることから、あちらでもテロが起きるだろうか、という質問だ。ある人は、「当然起こるはずだ」という意見だった。はたしてそうだろうか。自分は逆の意見だった。 なぜなら、今回のテロの様子を見る限り、明らかにアメリカを標的にしたものであり、アメリカ以外の国を攻撃しても意味がないと思われる。つまり、費用対効果が伴わないのだ。殺戮だけを目的としたテロならば、アメリカ以外の国も標的になるかもしれないが、今回のは政治的な意味合いが非常に大きいテロであるように感じる。 現在、アメリカは世界のリーダーであり、唯一の超大国である。しかしながら、アメリカがリーダーであり得ているのは、アメリカの理想や思想が高邁だからではなく、現実として経済力や、軍事力をバックにした政治力の存在によるところが大きい。そんなアメリカも、アメリカ本土に外部から直接に攻撃を受けたことは、歴史上一度もない。したがって、アメリカ本土を攻撃したというインパクトは非常に大きなものがある。更にターゲットとして、アメリカの経済力の象徴であるワールド・トレード・センターを破壊し、軍事力の象徴であるペンタゴンを攻撃した。そして、これは想像だが、おそらくピッツバーグで墜落した旅客機は政治力の象徴をターゲットにしていたのではないだろうか。つまり、ホワイトハウスかあるいは議会か。 そう考えると、このテロの標的がアメリカという国以外では意味をなさないだろうということは、容易に想像できる。アメリカ本土を直接攻撃し、経済力・軍事力の象徴を攻撃することができたということは、それ以上の意味を持っている。つまり、アメリカの危機管理能力に対する疑問である。アメリカの同盟国や友好国、あるいはアメリカに表立って対抗していない国は、アメリカの危機管理能力を信頼、または評価している。もし、その危機管理能力の信頼が揺らぐことがあったならば、世界の政治情勢は一変するだろう。ヨーロッパの国、ましてや日本を攻撃したところで、世界の政治情勢が一変することはあり得ない。せいぜい、一時的に経済的な混乱が生じるだけで、またすぐに元の状態に落ち着くだろう。しかし、アメリカの場合はそうはいかない。 何よりも、アメリカの国内で4機もの旅客機をハイジャックし、自爆テロの道具として使っているのだ。自国の危機管理がまともにできない国が他国の危機管理をどうこう言うな、という論調が出てきてもおかしくない状況になる可能性を秘めたテロだったのだ。そうなると、アメリカから離反する国が現れてもおかしくない。なんといっても、表向きアメリカに従ってはいても、内心苦々しく思っている国は少なくないのだから。 しかしながら、今回のテロに際してのアメリカ政府の対応は、「さすが」だと言うほかない。まず、世界に展開している全アメリカ軍に対して、すぐさま最高度の警戒態勢に入らせた。報道によると、この警戒態勢は核戦争が起こった場合を想定した警戒レベルに相当するのだそうだ。このことによって、世界中に対してアメリカの軍事力はいささかもダメージを受けておらず、健在であることをアピールすることができた。さらに、アメリカの政府、政権が正常に機能していることを、国民及び世界に対して宣言している。これは、国民の不安を和らげ、世界の政治情勢が混乱する芽を早期に摘むことに成功している。 今回のテロによって、国際経済(株式市場や為替市場)は一時的に混乱するかもしれないが、それは早いうちに収拾に向かうだろう。 以上のことから、自分はこのテロが、ヨーロッパを含めてアメリカ以外の国に拡大するとは思えないのである。 ただ、今回のテロを実行した組織についての報道(報道機関や政府発表)には、多少違和感を感じないこともない。現在、サウジアラビアの大富豪でアフガニスタンのタリバン政権によって保護されていると言われる、オサマ・ビン・ラディンの仕業である、ということを示唆する報道が多い。確かに、その可能性は高いのかもしれないが、自分には、人々の目をそちらに向かわせるように意図的に情報をリークしているように感じてならない。こう考えるのは穿ちすぎかもしれないが、何が信頼できる情報で、何が信頼できない情報なのか、個人として常に流される情報に疑いを持ちながら報道に接したいと思う。 |