TSUYOSHIの読書日記



1998年2月26日
イン ザ・ミソスープ
村上龍著

 本書は、私の友人から紹介され、借りることを認めていただけたことによって読むことが出来た。感謝したい。

 この作品は、連載中、フランクという男が歌舞伎町のパブで大量殺戮を実行しているときに、神戸・須磨区であの事件が起き、そして終わり近くにフランクが自分の半生を語っているときに少年が逮捕されたことでマスコミにも取り上げられ、知っている人も多いのではないかと思う。
 細かいストーリーはとてもではないがこの短い文章では語ることは出来ないだろう。罪を犯す者の心理、特に殺人を実行している時と普段の生活を送っている時の心理、そしてその人物を取り巻く人々の心の動きについて、非常に興味深く読むことが出来た。ただ、犯罪心理学などの心理学をこれまで全くと言っていいほど知らない私にとって、最後までフランクの心が謎のままであったことは否めない。これは今後、こういった小説を読む際に、最小限知っておくべき課題として残った。
 また、フランクがパブで殺戮を実行している時の描写があまりにもリアルであった。このような状況など過去一度たりとも目の当たりにしたことのない私でも(普通そうか^_^;)、その情景が鮮明に脳裏に焼き付き、忘れることが出来ない。正直言って恐怖を感じた、怖くなったのである、自分の頭の中のイメージだけで。まさに、背筋が凍るとはこのことではないだろうか。そしてその後のフランクの冷静さ。その違いに誰もが愕然とするのではないかと思う。
 さて、上記以外に注目した記述がある。わずか11行の記述だが、『悪意』というものについて述べた部分である。その一部を引用すると、
おれには悪意に対する特別な理解があって、それでフランクのことを危険だと判断しているのだと思う。悪意は、寂しさや悲しさや怒りといったネガティブな感情から生まれる。何か大切なものを奪われたという、体をナイフで本当に削り取られたような、自分の中にできた空洞から悪意は生まれる。
これはフランクに歌舞伎町を案内していたケンジという男が、フランクが殺戮を起こす前に、思いを述べた箇所である。私は最近、人間の『悪意』について考えることが多かった。しかし私の考えはこれとは異なるものであった。私の考えは、ネガティブな「感情」からではなく、人間が本源的に持つ「欲望」から『悪意』が生まれるのではないか、そして、『悪意』が人間の『善意』を上回ったときに、『悪意』は実行に移されるのではないか、というものであった(もちろん、これは途中の議論をすっ飛ばしたものだが)。
 まあ、色んな考えがあってよいのだが、引き続き考えていこうと思う。

 いずれにしても、本書は多くの人に読んでもらいたい。




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