TSUYOSHIの読書日記



2001年4月21日
教科書が教えない歴史
藤岡信勝、自由主義史観研究会著

 この本は、私の勤める会社に置いてあったものを頂きました。感謝します。

 本書が出版された当時、ベストセラーになったので既に読んだ方も多いのではないでしょうか。この度、いい機会だと思い通勤電車の中で読んでみました。(^^;;
 まず、著者として名前を連ねている自由主義史観研究会とは何だ?最近教科書の検定問題で中国や韓国から反発を受けている、例の「つくる会」みたいなものなのか?という疑問が湧いてくるでしょう。私もそうでしたから。あぁ、無知だなぁ。(とはいえ、他国の教育にごちゃごちゃ言ってくる、あるいは言われている国もどうかと思うが。歴史を歪曲してはいけないが、自分の国を誇りに思えるような教育をするのは、決して悪いことではないと思うぞ。)自由主義史観研究会がどんな主張を持っている会なのかをここで書くのはやめておきたい。いや、やめさせて下さい。(面倒くさいし)長くなるから。本書の「はじめに」に簡単に触れているので、そちらを参照ということで・・・と、お茶を濁してみる:-)

 さて、真実は1つしかない。しかし、歴史は相対的なものであり、複数存在する。これは特に変わったことを言っているわけではないでしょう。要するに、同じ事象を考えるにしても、視点が変われば見方も変わるということです。例えば、日本の歴史について、現在全国の学校で行われている日本史とは、大和民族の歴史だろう。周知のように、日本を構成する民族は主に3つ有り、琉球民族、アイヌ民族そして大和民族である。ちなみに日本民族などという民族は、地球上には存在しない。(この意味で、「日本は単一民族の国だ」という惚けたことを言う人がたまにいるが、取り敢えずこんな人は相手にしないのが吉かと。)
 ではなぜ、大和民族の歴史が日本史として扱われているのだろうか。それは、日本において、大和民族が他の民族との戦いに勝利したからだろう。当然、逆のことも十分にあり得たと思うし、見方を変えれば日本史は他の2つの民族にとって大和民族による侵略の歴史ということになるだろう。別にこれは日本に限ったことではなく、他国においても正史は戦いに勝利した側によって書き換えられてきているし、またそうでもしないと、その政権の正当性を示せないということもある。なにせ、戦争によって得た支配権だし、民主的に選ばれたわけでもないのだから。(ま、民主的でないといえば、国の成立において民主的に事が運んだ国なんて、存在しないのではなかろうか。民主主義とか何とか言うのは、国の成立後の話だし。戦って得た土地を、ここはオイラの土地だよ〜って、宣言したに過ぎないのだから。後は他国がそれを認めるか否かってだけだし。)

 最近になって、戦争の勝者の正当性を求め、戦争当事者を善と悪に分けるということがあった。言うまでもなく、東京裁判である。(私が生まれる遙か前のことで、これもまた歴史教育で知ったに過ぎない。ただ、それがどういう意味を持つのかということは、学校で教えてくれるわけでもなく、自ら考えなければ答えのでない問題だと思う。)戦争に勝った側が負けた側を裁判によって裁くなどということは、おそらくこれが初めてなのではないだろうか。(ひょっとしたら以前にもあったかもしれないけど、寡聞にして聞いたことがない。)

 ウダウダと書いてきたけれども、ここに書いたこともまた、私個人の歴史に対する一視点に過ぎない。当然、この見方がおかしいと感じても、何ら不思議ではない。歴史は、個々人の中で消化して行くべきだと思う。

 さて、学校の歴史の授業に関して思うことを一つ。歴史は、暗記科目だという人がいるが、それは違う。歴史こそ、じっくり考える科目・学問だと思う。でなければ、我々は、歴史から何も学ぶことができなくなってしまう。歴史は、考えると非常に楽しい科目になってくるはずです。


教科書が教えない歴史 (1996)
藤岡信勝、自由主義史観研究会著
産経新聞社
ISBN 4-594-02040-2


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