| 米軍王子野戦病院反対闘争 | 写真・資料 |
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1968年3月11日 王子本町3−13(現在は都営住宅前の駐車場)に設置された「団結小屋」。掲示板の後ろに、東京外国語大学自治会から借りたテントなどでつくった「小屋」をつくり平和・民主勢力のセンターとした。 最初はローソクの灯が唯一の明かりで、苦労してガリ版刷りの「小屋ニュース」などを作成し、近隣住民に配って歩いた。 野戦病院が開設されると、ここから毎日「抗議文」を手に、正門前まで抗議行動をした。 米兵はカービン銃を構えて、私たちを威嚇した。それでも恐怖心は不思議と無かった。 運動に過激派が介入してきた。その過激派が「小屋」をつぶすために押し掛け、石つぶてを浴びせたこともある。 私たちは、スクラムを組みピケットを張って「小屋」を守り抜いた。 |
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カットは中村和夫さんが描いた中央文化センターです。 写真右 これが王子野戦病院(キャンプ王子)の正門前である。右に見える建物は、現在の文化センター。 こうした写真も、米兵の威嚇のなかで撮影しなければならなかった。 |
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「病院」が開設された。ベトナムで傷つきあるいは生命を失った遺体が、船で東京湾まで運び込まれ、救急治療、あるいは死に化粧され棺桶に入れられるために「病院」にヘリコプターで運ばれた。 この写真もそうだが、基地外から目の当たりの距離で、腕、足をもぎとられた、おそらくはもう死んでいるのではと思われる人々が毎日運び込まれた。 このヘリコプターが着陸した場所は、いま私たちが、春の桜、新緑、そして紅葉をたのしむ「平和公園」になっている。 |
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| いまは、都市計画道路が完成した「王子新道」の「パン屋さん」前。店前にはみなさんが、反対の看板などをかかげていた。 | ![]() |
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