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2010.12― 1





パワフル35年の活動目次
その1
自己紹介
26歳で初当選
高齢者と若者の住宅難
「区議会の黒い霧」を追求!
 「区議の倫理条例」を全会一致で制定
北区の無駄を徹底してなくす
政務調査費の使い道をただし、領収書の添付・公開を実現
議員定数削減問題について
まちづくり、環境、みどりで連続質問
 「まちづくりの主人公は行政ではなく住民」
  公害問題  その2
    高速道路王子線問題
  「みどりの条例」
    都市計画道路問題
住民運動大事の姿勢こそが、区政をきりひらいてきた
町会・自治会の役割も住民参画の力に
十条駅前再開発問題
埼京線・十条駅周辺を地下鉄化なぜ「地下化」にこだわるのか

都市計画審議会の傍聴が出来るようになりました
医療の営利化を許さない!
 東十条オリンピック病院問題

新幹線問題



その2
王子野戦病院反対 解放への歴史
陸上自衛隊十条駐屯地解放への歴史
十条自衛隊基地解放運動・「特例許可」をめぐる攻防⇒



その3
真の行財政改革とは
いま地方自治制度に求められている課題は何か


その4
日本国憲法9条を守る運動の意義
平和北区実現の課題の追求

 【自己紹介】
●北区東十条に生まれました●62歳です●家族は妻と二男一女。●「新幹線」や「高速道路王子線」から環境を守る住民運動、都市計画道路全面的見直し作業、埼京線十条駅周辺地下化など種々の問題にとりくんできました。大気汚染をはじめとする公害対策、環境守れの運動に参加してきました。議会では今までできた全部の委員会を経験。スポーツ振興、青年住宅・高齢者・障害者福祉、そして子育て支援拡充などに熱心にとりくんできました。住民が主人公のまちづくりをと提唱しつづけ、また、30人学級実現に向けた教育環境改善でも大きな成果を上げてきました。「みどりの条例」や「十条台パノラマプール」は、共産党・八百川孝が提案し実現したものです。●いま文教委員会副委員長。地域開発特別委員、北区議会倫理審査委員などを担当●ホーム・ページに「北区の行財政問題」を執筆、「北区はお金がなくて何もできないのか」を解明●著作『稲荷公園物語』、『王子野戦病院開放の歴史』、『真の行財政改革を求めて』ほか。●趣味:「オーバー60・草サッカーのプロ?」です。

 若ものが住み続けられるまちに、子どもたちの元気な声が響きわたる路地裏やひろばのあるまちに、そしてみんなで助け合いはげましあって健康をよろこびあえるまちになるようにと活動してきました。
 お年寄りがさびしいおもいにかられることのないように、障がい者にもっとやさしいまちにしたいとおもいつづけて活動をつづけてきました。
 26才で初当選。以降9期35年間がたち、先日表彰状と総務省から感謝状をいただきました。
 2011年4月には、10回目の選挙戦にのぞみます。


○「赤羽サッカー場」に続き北運動場の人工芝化に取り組みます。
 スポーツ振興策をすすめます。
○保育園の待機児ゼロをめざします。
 保育園にあずける子ども二人目から保育料を無料にします。
○現在900名余の介護施設の待機者ゼロをめざします。お年寄りの住宅難を解消します。
○子供医療費無料化に続いて、高齢者医療費軽減策を講じます。
 また、高校生の医療費を無料化するように運動します。
○若者の住宅難解消政策として公・公的住宅の建設を進めます。
 単身者の年齢制限を撤廃させます。子供を産み育てること、在宅介護をしやすくすることなどのために、広い部屋を持った都営住宅・区営住宅を増設させます。
○北区独自の雇用拡大策をもっともっとすすめます。
○住宅リフォーム制度を実現させます。
 公契約制度を確立して、区が発注した事業を通じてワーキング・プアを生み出さない仕組みづくりをします。
○30人学級制度への移行を速やかに行います。
 小学校から大学まで、「教育の無償」が原則となるようにしていきます。 
○埼京線地下化を軸に据えた明るいまちづくりを推進します。旧岩槻街道の拡幅にともなう地権者等の生活と営業等の諸権利を守ります。環七との立体交差化計画は廃止させます。
 十条富士見中学校跡地には、王子第五小学校を移設し、同跡地には、特別養護老人ホームや障害者福祉施設を設置します。また、「防災広場」などを確保します。東十条駅北口に続いて、南口のバリア・フリー化に努めます。
 コミュニティーバスを東十条・十条・岸町・西が丘地域に走らせます。いつでもどこでも、「まちづくりの主人公は住民」を合い言葉にがんばります。
○行政の無駄をなくすこと。議会改革を大胆に進めること。
 真の行財政改革を進めることで、国・政府と地方の関係、そして「都区制度」を正しく発展させ、財源の確保に努め、安心・安全の北区を実現します。地方自治体を縮小させる「道州制導入」や「市町村合併等」に反対します。大事は地方自治制度の拡大と発展にあります。
  民主党の「地方主権」はすでに破綻していますが、私は、真の地方分権(財政権と自治権の確立)を進め、地方政治を通じて社会保障、福祉諸施策、教育施策、まちづくりが十二分に実行できるようにしていきます。そのために、「23区長会」を「秘密機関」から傍聴可、議事録作成など抜本的に改善し、透明性の高い機関にし、東京都と対等の立場を確立させ、「都区協議会」などで、23区側の立場に立ちきった「行動する区長会」にさせます。
 住宅や特養ホームの建設などの地域密着型公共事業を活発に展開していきます。
 また、地域から経済を復興させ、中小企業が元気になるようにしていきます。この課題を達成していくことが、「内需拡大・安定雇用確保」策そのものとなります。
 こうした真の行財政改革を推進する議会に、行動する議会になるように、「議会改革」をたゆまずにすすめます。
  


26歳で初当選青年議員
 
1975年4月選挙 赤羽東口駅頭
右応援の不破哲三氏 中は故人となった黛、
藤田の両氏
 
「赤旗」の取材で十条中の地区体育館と
ナイター付き一般開放を紹介
 
北区スポーツの森公園・「赤羽サッカー場」
 初質問では、青年の生活実感から住宅難やスポーツ施設要求を取り上げました。
 また、27歳のときに二度日の質問で、高齢者問題として「寝たきり老人への入浴サービス」を、「一人ぐらし老人へのアパート提供」をと質問、いずれも実現化への道を切り開くものとなりました。青年の問題、高齢者福祉問題は、私の政治活動の〃原点〃になったかとおもいます。

 「八百川孝区議はスポーツマン議員」です。「スポーツ施設5カ年計画を」「スポーツ振興条例制定を」と繰り返し質問。学校体育館や校庭ナイター開放、温水プールなど次々と提唱。十条台パノラマプールをとうとう実現しました。いつでもどこでも誰もがスポーツを親しめるような環境づくり。これが八百川孝の〃スポーツ・マインド〃となりました。「北区に5カ所のサッカー場」の公約は、自衛隊赤羽基地跡地のサッカー場建設により実現化しました。

 老若男女、年齢を問わない「生涯スポーツ」「健康スポーツ」を早くから提唱。学校統廃合により地区体育館を減らしてはならないと奮闘中。60歳になって、「60歳オーバー」のサッカー・リーグ戦に参戦。ポジションは、トップです。私の勇姿を見たい方(誰もいないか)、毎週水曜日12時から、できたばかりのスポーツの森公園・「赤羽サッカー場」でどうぞ。60歳を超え、かつ80歳になろうとする方たちの元気な姿が見られます。また、隣接の集会場では、高齢者の健康教室が開催されています。



高齢者と若者の住宅難

 現在の花川区政は、ニュー・ファミリー向けの区民住宅や高齢者向け借り上げアパートの増設計画を凍結したまま、住宅対策については、まったくやる気をなくしているという状態が続きました。住宅難は深刻です。とくに、北区では、若者、ニューファミリー層の流出が大問題で、それが、北区の人口減や、また、高齢化率を上昇させる原因ともなってきました。この問題を解決しないと、学校の統廃合などを通しての「学校減らし」をふせぐことはできません。

 いま高齢者借り上げアパートと、若者への「区民住宅」建・増設の復活、「木密再生事業」などのまちづくりの中心課題に「若者の定住化」をすすめる住宅政策を打ち出すよう求め運動中です。あらためて、住宅についての国・政府、そして東京都の責任を明確化させて、大都市における住宅難を抜本的に解消していくにふさわしい「住宅立国」にしていきます。

 私は子育て支援を総合的に進める課題の中心に、住宅難解消策を打ち出すべきと考えます。若者が住み続けられるまちにすることが、じつは高齢者福祉にもつながっていくのだということも、強くアピールし続けていきます。
 花川区長は、最近になって、「子育てするなら北区が一番」に続き、「長生きするなら北区が一番」をキャッチ・フレーズ」に使い始めましたが、住宅難解消策を正面から打ち出さない限り、このフレーズは実態のないものとなってしまい、説得力に欠けるものとなっています。


「区議会の黒い霧」を追求!
 「区議の倫理条例」を全会一致で制定

 

倫理検討会の審議を経て、答申を議長に手渡す。
左から佐々木敏夫副議長(故人) 林千春議長 
金子章検討会会長 八百川孝副会長 
 23区最初の「区議倫理条例」を全会一致の賛成を得てつくりました。この背景となった、自民党元議長が関わる民間土地高額買収問題に関わる「贈収賄疑惑」を徹底して追求。議長を辞職に追い込み、自民党を含めた「倫理検討会」を設置、その副会長を務めながら、「条例制定」「倫理審査会設置」を実現。「区長の倫理条例」も、これをもとに実現させました。議員の倫理条例では、区民から疑惑を持たれるような企業・団体献金そのものを受け取ってはならないことなどを定めています。
 この問題の「副産物」としてですが、北区の自民党は、二つの勢力に分裂していくことになりました。その伏線となったのです。


 北区の無駄を徹底してなくす
 官官接待や「裏金づくり」の温床となってきた「食糧費」の無駄にメスを入れ、ほぼゼロにすることができました。その調査中に、王子第三小学校の校庭買収価格が「官官接待」の席上で決められたことを知りました。
 当初予算で計上された約15億円の買収価格が、じつは「国税職員の接待」のなかで決められたわけです。それを、教育施設建設のためであることを認めさせて、約7億円ほどの買収価格にあらためさせました。
 北区の公園造成における、「高額な石問題」の指摘も、区民の関心を呼びました。特定業者との癒着構造も明らかにしつつ、ただしてきました。

 議会があるたびに出されていた弁当も廃止させました。議員の表彰にともなう記念品や、議場掲額(30年表彰)などをやめさせました。議員海外視察は全面的に中止させました。常任委員会視察は三日間の日程を二日間に縮小させました。


政務調査費の使い道をただし、領収書の添付・公開を実現
 政務調査費の使い道をただし、領収書の添付・公開を実現させ、調査費の使途を透明化させました。また、定期的に「使い道」を超党派で話し合う場としての検討会を設置させました。この超党派での検討会の常設は、全国の地方議会でも珍しいものでしたが、ここでも、日本共産党北区議員団は、先駆的役割を果たしました。
 北とぴあ・旧新光ビルシステム高額契約問題では、「問題なし」とする花川区長を徹底追求。契約方法を変えさせて年間契約額を1億4千万円も安くさせました。
 元区長をはじめ歴代部課長の第三者機関、企業への「天下り」の実態を暴露、その禁止を求めました。
 2010年今年11月議会には、議員報酬の引き下げと費用弁償廃止の条例提案をしました。

議員定数削減問題について
 議員定数削減問題については、「議会側も血を流す」とか、「議員が無駄である」とする議論を真正面から批判しつつ、あらためて議会政治の重要性を訴えました。北区の44名の定数は、法定数であること、これを守り抜くことが、北区の「冷たい官僚区政」の復活を許さない根拠ともなっていること等を徹底してあきらかにしてきました。
 共産党の追求で廃止され、かつ取り払われた無駄の数々も、じつは自公民与党は、それを守るために隠し通そうとしてきたのであって、そうした議員活動の姿に対しして、住民サイドからの批判の声が起きていることも明らかです。こうした自らの姿勢をかえりみることなく、なにか議員の定数を減らすことが「無駄を削る」ことのようにいうのは与党としては本末転倒のことといえます。まずは自らの姿勢を正すべきです。
 政治不信を取り払うにふさわしい議員の活動、そのあるべき姿を明確にして昼夜を分かたずに行動し、粉骨砕身の奮闘しているのは日本共産党区議の面々です。私たちは、このことを誇りとしつつ、いっそうこの活動に磨きをかけて前進を期してがんばります。


まちづくり、環境、みどりで連続質問
「まちづくりの主人公は行政ではなく住民」

―― 「これからの開発、建設は、すべてにおいて、自然を 守り、環境を守るものでなければならない。また、環境をより改善するものでなければならない」

公害問題
 鉄道沿線の騒音や振動被害。あるいは、幹線道路沿いの大気汚染問題などを議会でいち早く公害問題として取り上げ、対策を立てさせてきました。北区の「公害患者認定地域化」を議会で初めて取り上げたのも私、八百川孝です。
 新幹線問題では、13年間にわたる住民運動の先頭に立ち、走行速度制限、環境保全、高架下の区民利用などを勝ち取り、いまもJRに守らせています。

 高速道路王子線問題では、東京都の環境アセスメントが、「環境アワセメント」になっていることを具体的に暴露し、都市密集地域への高速道路の建設がもたらす環境破壊を明らかにしました。

「みどりの条例」は、当時の日本共産党北区議員団の選挙公約でもあり、私、八百川孝の提案が実ったものです。この条例の精神を活かす形で、上十条一丁目に「野鳥の森公園」ができました。また、上十条3・4丁目の「木密再生事業」でうまれた小公園に花々が植えられるようになったのも、この条例が活かされているからです。最近、上十条1丁目地域に「小公園」が実現することになりました。このように「防災まちづくり」にも大きく貢献することになりました。

 埼京線を地下化することを軸にした、十条高台地域のまちづくりを提唱し続けてがんばってきました。
 十条駅前再開発問題では、「全面的見直し」を要求。東京都は無責任にも「撤退」してしまうという事態になりました。現在は、再開発地域を狭めての、組合方式による駅前開発が模索されていますが、組合への「支援」に入ったゼネコンが主導する形で、地上40階を超える「超高層ビルの建設」を軸にした「再開発構想」が出されています。私は、この「超高層ビルの建設」には「待った」をかけています。埼京線地下化と連動した「十条らしさ」を打ち出した再開発を、北区が責任を持ってつくるべきだと主張し、奮闘中です。

 都市計画道路問題をはじめとする都市計画が、北区中を覆っています。私、八百川孝は、まちづくりの骨格をなす「都市計画」について「専門家はだし」といわれるほどに、熱心にとりくんできました。

 そのきっかけは、1981年(昭和56年)の都市計画道路全面的見直し作業に関わってのものでした。このとき、私八百川孝は建設委員会正副委員長を歴任しながら、北区都市計画審議会・専門部会の副会長を務め、区民周知を徹底し、計画の改廃を含めての70数件を超える請願・陳情を組織し、文字通りの見直し作業を行いました。

 作業を通じて、赤羽自衛隊基地内を通る補助86号線を残しつつ(後の解放のために)、そのさきの赤羽西6丁目島下公園用地を守って計画を廃止させたり、また、十条高台地域を縦断する補助76号線や、補助83号線(旧岩槻街道)と環状七号線との立体交差部分の廃止を求めたりとたくさんの問題提起をして、それを『答申』としてまとめました。この『答申』は、ほぼそのままに、東京都都市計画地方審議会で決定になりました。

 
当時の都市計画道路図
「83」とは旧岩槻街道。十条台小学校地点
R400のループ上の計画を廃止させた。
南橋から「20M」の下に地下トンネルを造ることで
岸町への通路を完成させた。
この案は、当時の道路課長と練ったもの。
『稲荷公園ものがたり』から転載⇒
 赤羽駅連続立体化工事とともに、北側「板橋街道」、駅北側道路、そして南側の補助86号線との立体化道路等が、『答申』の意向に沿う形で実現しました。また、旧岩槻街道の十条台小学校地点から、王子3丁目交差点付近までの補助85号線では、当初「ループ状」の形状のままで、残されようとしていた道路計画をきっぱりと廃止し、岸町との連絡道路を地下トンネルとした南橋大橋を架けることにさせて、これを実現化しました。このトンネルの実現により、岸町地域の火災発生にたいして、消防署(十条出張所)から5分以内に駆けつけることができるようになりました。南橋大橋の建設にあたっては、北区独自の「ミニ・アセスメント」を実施させました。

 この計画変更により生み出された建設用地を活用して、現在の北区障害者センターと区民センターが、建設できるようになり、また、十条台小学校の体育館建設につながり、北区第一号の温水プール、「パノラマ・プール」が誕生したのでした。
 
 旧岩槻街道の拡幅問題、補助87号線道路計画改ざん問題、防災都市づくり構想(東京都)や「木密再生事業」、沿道整備や地区計画づくり等々。また、埼京線の地下化問題や、西口再開発問題も、都市計画そのものの問題として私たちに提起されましたが、そうした問題に対する、私の対応の基本は、この道路計画の全面的見直し作業を通じてつちかったものです。

 ものをつくるには道路が絶対要件となります。災害に強い安全なまちとするためには、「二項道路」による道路確保、また、地域内くまなく6メートル程度の幅員を持つ道路が必要となります。こうした道路を、自家建て替え時に「セットバック」してつくらせていただく。そうすることで「無接道敷地」を解消する。また、建て替え後の建物を不燃住宅にする、そうすることで「壊れない、燃えにくいまち」にと変えていく。さらには、地権者が力を合わせて共同ビルを建てることで「空き地」や生活道路を確保していく。こうした施策が都市計画の手法の一つである「地区計画」とすることで実行に移されています。十条高台地域は、このような長期のスパンで「新しいまちづくり」が進められようとしています。
 都市計画法の中でも、「地区計画」は、住民参画型のまちづくり手法として注目されてきました。大事は、住民参画にあります。また、地権者の生活再建に必ず結びつくものでなければならないことはいうまでもありません。
 幸いにも、こうした事業は、区画整理事業とは違って、あくまでも住民合意が前提のものとして実行されていきます。

 私は、上十条1、2丁目や十条仲原についても、こうした都市計画の網をかけて、不燃化促進地域とすべきと考えています。そうすることで、たとえば、王子第五小学校が旧富士見中学校跡に移転し、跡地の再利用が課題化された際に、同地を災害対策拠点として、特養ホームや、障害者諸施設等を設置しながら、整備することが可能となります。十条駅西口再開発も、こうした視点を含みにして組み立てられる必要があります。
 この「網掛け」は、十条仲原2丁目の「ミニ開発問題」に直面したときに発想しました。

 清水坂公園とあじさい荘の建設は、当時の国鉄清算事業団用地の真ん中に、区道を建設することで、可能となったものでした。隣接のマンション建設も、この道路の確保が前提でした。こうした条件整備を、私は提案しつつ、清算事業団用地をできるだけ安く手に入れる手法を駆使しながら、特養ホームであるあじさい荘と、清水坂公園の建設に道を開いたのでした。

 そおいうわけで、「まちづくり」に関する質問はかぞえきれません
 十条の「防災まちづくり」や、計画道路見直し問題、上十条3・4丁目の「木密再生」事業問題、無接道敷地問題、環七センターライン上ガードレール設置、駅周辺自転車置き場設置、放置自転車問題、歩道・自転車走行問題、手すり設置、カーブミラー設置、横断橋の撤去と改善、新幹線高架下利用計画、東十条駅南口地蔵坂歩道の設置、等々と多くのテーマにとりくんできました。

 公共施設の計画的事業化も私、八百川孝が熱心に追求した課題です。その中で障害者センターやふれあい館、保育園や学童クラブ、児童館、図書館、緑豊かな清水坂公園・児童遊園、ひろば等々が次々と実現しました。

 この計画的な公共施設建設を進める上で、「財源」の確保策に直結する形で、都区財政調整制度の改善がはかられたことは、たいへん大きな意味を持っていました。このときの改善とは、「一件算定方式」から標準人口数にあわせた施設整備を「単位費用化」するというものでしたが、この改善により、北区は、公共施設の不足を急ピッチで補うにふさわしい事業展開が出来るようになったのでした。(都区財政調整制度⇒
 「一件算定方式」とは、東京都の都合に合わせた事務事業に「予算を配分する」という性格の強い方式で、それが二十三区側の自主性を損なうことにつながりました。「単位費用化」とは、あらかじめ事務事業の必要数・量を「基準化」しておいて、それにふさわしい年次ごとの予算配分をするというものですから、より公平な配分が「東京都の意志とは関係なく」実現化したという意味があったのです。
 このように、東京都と二十三区間には、財政を通じての支配、被支配の関係が永続していて、その支配を打ち破り、二十三区各区が、文字通りに基礎自治体としての権能を身につけることが出来るかどうかが、絶えず争われてきたのでした。平成十二年の都区制度改革とは、まさに、その争いの頂点をなす出来事であったわけです(こうした問題を行財政改革問題で解明します)。


住民運動大事の姿勢こそが、区政をきりひらいてきた
 町会・自治会の役割も住民参画の力に


 住民運動は、地域から行政を変えるための原動力となってきました。問題解決のための署名運動などは、その端緒をなすものといえます。そしてこの運動が多様に展開されて初めて、行政が住民参加、参画の行政にと変化してきたのです。私は、「住民運動あるところに八百川孝あり」を信条にしてきました。

 地域には、協働のコミュニティーとして町会・自治会があります。かつて、町会・自治会が、政治的には「保守勢力」の「後援会組織代わり」とされてきた時代もありました.。
 が、いまは、違います。地元住民のコミュニティーとして、多くの方たちが、「世のため人のため」に努力を惜しまずに働いてくれています。また、大戦後一時期とられてきた「占領政策」としての「町会解体(隣組の解散)」の制約が取り払われた後、町会は、国家神道の服従物としての役割からも独立し、民主的体裁を整えながら発展してきました。さらに、行政の下請け機関としてはならないとする原則からみると、現状は未だしの感ありですが、行政に働きかけつつ、自分の町をよくしていくという意識が満ちた機関ともなってきました。

 町会・自治会組織を正しく発展させていくことは、地域にとって大事の問題と思います。そして、この組織自体が、住民参画の機関としてその役割を担ってきたことは、注目しなければならないことかとおもいます。
 国家神道からの独立、保守勢力の後援会組織化は、宗教、政党からの独立という形で原則化されてきましたが、まだまだ注意する必要はあります。宗教からの独立といっても信心の自由を抑制しようというものではありません。かつ政党を排除するものでもなくて、むしろ各政党とは協働することの方が正しい方向とおもわれます。特定政党支持化し、まるで「後援会組織」をおもわせる行動を厳に戒めるべきだといっているのです。
 国家神道は、絶対的天皇制とともに、明治政府が国民に強制したもので、日本を戦争のるつぼに陥れるにあたり、最大の思想動員の柱となりました。神仏混淆(しんぶつこんこう)を極端にまで推し進めて、神際と町会組織とを一体のものにし、伊勢神宮を頂点となす宗教的国家支配体制にまでなり、その権威を利用して、支配を貫徹したのでした。こうしたことの「反省」から、今日の町会・自治会活動は展開されるようになってきたのであり、私たちは、このことを原点としつつ、自らのまちのコミュニティーの発展に努めたいとおもいます。
 私は、たまたま、現在の住まいのある東十条五丁目の町会長の任を受けることになりましたが、こうした感想を新たに強く持つようになりました。



 この「35年の活動」の紹介の機会を捉えて、種々住民運動を、とくに王子野戦病院反対闘争や、陸上自衛隊十条駐屯地全面解放運動については、詳しく取り上げました。記録として残しておきたいという意味と、これからの〃世代〃の方たちにしっかりと学びその〃教訓〃とするところを生かしてほしいとのおもいからです。是非お読みください。
 また、真の行財政改革とは何かについても、その多くは、私のホーム・ページに「自治のひろば」をもうけて、私なりの考えを発表してきました。今回の機会に、その要約を別項をもうけてお示しをしておきます。

 さきに取り上げた順に詳しく報告します。

 公害問題(環境問題)
 鉄道沿線の騒音や振動被害。あるいは、幹線道路沿いの大気汚染問題などを議会でいち早く公害問題として取り上げ、対策を立てさせてきました。北区の「公害患者認定地域化」を議会で初めて取り上げたのは私、八百川孝です。
 自動車の低・無公害車化を提唱しつつ、北区が使う車などへの導入を進めさせてきました。「青空裁判」として知られる東京大気汚染裁判を、北区議会で紹介したのは、私、八百川孝です。板橋区・大和町交差点と、北区・宮堀交差点の測定局のNO2 や浮遊粒子状物質の測定値が、日本で一番高いことをとらえて、「北区の大気汚染は全国ワースト1だ」として、北区を追求し、対策を迫りました。北区から公害をなくす会が結成され、大気汚染調査活動などを展開しました。この「会」は、「青空裁判」とともに、再建され、活動しています。


 十条駅周辺の再開発問題
 埼京線を地下化することを軸にした、十条高台地域のまちづくりを提唱し続けてがんばってきました。
最近、「立体化促進」の署名が行われました。この署名が、ほんとうに埼京線地下化による立体化実現となるかどうかが、今後の住民パワーの発揮にかかっているとおもいます。

 まず「十条駅西口の再開発問題」について触れておきます。
 十条駅前再開発問題では、「全面的見直し」を要求、みなさんと運動しましたが、東京都は無責任にも「撤退」してしまうという事態になりました。現在は、再開発地域を狭めての、「組合方式による駅前開発」が模索されています。しかし、組合への「支援」に入ったゼネコンが主導する形で、地上40階を超える「超高層ビルの建設」を軸にした「再開発構想」が出されました。私は、この「超高層ビルの建設」には「待った」をかけています。埼京線地下化と連動した「十条らしさ」を打ち出した再開発計画を北区が責任を持って住民参画のもとにつくるべきだというのが、私の考えです。

 ゼネコン主導による再開発計画は、再開発区域の狭さを反映して「利益をあげるため」の超高層ビル建設となっています。ただしこの計画案には、重大な欠点があります。

 まず第一は、超高層ビル方式の再開発は、都心ならばいざ知らず、十条の町の環境とそぐわないという問題があります。また、超高層建築物がもたらす環境への影響も心配されます。公共性の高い再開発であるならば、無理をして「利益」を生み出す必要はありません。したがって、地権者の生活再建や営業補償に結びつくものであり、かつ、公共の駅前広場や、道路の確保ができて、必要な公共施設等の整備を行えるものであればいいわけです。

 第二には、埼京線地下化との連携がなにも考慮されていません。駅ビルや地下街・地下駐車場の形成などが地下化の際にも考えられますが、その地下化との連携が、立案できないものとなっています。駅前広場や接道様式も不明確のままです。これでは、駅前再開発になっていません。都主導の再開発の際にも出されていた「十条らしさ」の追求もされていません。なぜ、こうなってしまうのかというと、都もそうですが、北区が責任を持とうとしないで、再開発の責任を住民サイド、組合側に任せてすまそうとしているからです。

 北区は、まず、埼京線地下化、線路覆蓋(ふくがい)上層部分の遊歩道・グリーンロード化、そして駅周辺の再開発構想の作成という手順で、新しいまちなみを考慮した「まちづくり計画」をたてるべきです。地権者の諸権利を守ることを前提にして、その計画立案段階から住民の参画を促し、十分なる合意形成につとめるべきです。その際に、現在設置されているまちづくり協議会などが大事となるわけです。

 再開発組合とは、あくまでも再開発区域における組合なのであって、駅周辺のまちづくり全体に責任を負うことはできません。総合的な計画が出されない中で、組合、すなわち地権者のみなさんに部分的な計画造りを押しつけているところに重大な問題があります。「再開発」は、いま、大きな曲がり角にきていると、私はみています。

埼京線・十条駅周辺を地下鉄化
なぜ「地下化」にこだわるのか

 埼京線・十条駅周辺を地下鉄化することで、歩行者にとって危険な、また自動車の渋滞原因ともなっている五つの踏切を除去し、鉄道騒音(踏切のカンカン音も含めて)や振動をなくす。
 また、線路覆蓋部分を遊歩道化することで、東西地域の遮断をなくす。また、災害時の延焼防止滞となる。さらに、この遊歩道部分の北側にある清水坂公園と、南側に位置する十条富士見中学校(現在建設中)の連結を実現することで、緊急時、災害時の避難路とすることができる(各学校は、震災時の緊急避難所になっており、また、中央公園は、東京都が指定する避難場所となっている)。
 グリーン・ロード沿道は、やがては、新しい地域に密着した「商店街」形成にもつながる。つまりは、「まちの発展」に結びつく。こうしたメリットを追求したからこその、地下化の提案でした。

 高架では、こうしたメリットのいっさいが得られないことになります。むしろ、騒音や日照阻害、電波障害等はいっそう広がってしまうことになります。
 ですから、私は、「立体化」されるならば高架でも地下でもいいという態度はとりません。高架方式の採用には絶対反対の立場です。



 
初当選した当時に発表した「地下化イラスト」
Nさん作成のものです。
拡大図は⇒
  「地下化」提案の合理的理由は、もう一つあります。それは、当時の建設省とのヒヤリングの際に、私が強調した問題であったのですが、十条駅は、埼京線のなかでは、高地の位置にあることです。赤羽駅2階部分よりも高い。したがって、赤羽駅を出発した電車は、緩やかな坂道を登る格好で十条駅に到着します。これが仮に、十条駅ホームを高架上に造ることになると、線路はさらに急勾配となってしまい、走行する電車の騒音は今よりもひどくなってしまいます。騒音は発生源が高くなるほど広範に広がるものです。高架では公害を防ぐことにはなりません。
 「地下化」にすれば、赤羽駅ホーム上とほぼフラットな位置に十条駅ホームを造ることになります。当然に、騒音は、ほぼゼロになるのです。この話に、当時の建設省課長は、説得力ある話だと感心していたものです。

 もともと、線路の方を地下化することで、連続立体交差化事業としたいとの提案は、1974年(昭49)の交通対策特別委員会の席上、当時の国鉄東京第三工事局次長が、赤羽線増強計画工事の中身として持ち出した話でした。さきにふれた、東北新幹線建設を巡る問題で、国鉄当局は、再三にわたり、北区議会を訪れていたのです。私は、予定候補者の立場でしたが、この委員会を傍聴していました。

 赤羽線増強とは、赤羽・池袋間の路線を十両編成にした上、その車両走行間隔を2分から2分半程度に縮めることを意味していました(現在でも4分間隔ほどで走行しています)。当時の赤羽線は、赤羽駅と池袋駅が単線で、十条駅は、十両編成とするには、ホームの延伸を必要としていました。ただし、延伸すれば、十条道(大踏切)と仲道(十条駅・北側)の踏切のどちらかを遮断してしまうことになります。そこで、国鉄が考えだした案が赤羽線十条駅周辺を地下鉄化してしまうというものであったのです。

 そうした経緯から、私は、さきに述べたような理由をあげながら、赤羽線十条駅周辺鉄道地下化による連続立体化事業を推進することを政策化し、公約にして、区議会議員選挙に打って出ることができたのです。

 連続立体交差化事業というのは、国の事業名です。普通は、鉄道線の上を道路がまたぐ格好となるのですが、赤羽線の場合は、鉄道側が地下に潜るという案であったわけです。しかも、当時は、区側の事業費負担はゼロで、国鉄側が10%(国庫負担あり)、そして国側の負担と東京都による負担(国庫負担あり)というものでした。(区側も相応の負担をすべきとしたのは、鈴木俊一都知事の時代でした。その結果、赤羽駅連続立体交差化事業の際には、北区は、約120億円余の負担をすることになりました。赤羽駅の連続立体化事業は、北区が高額の負担をしたことで初めて実現可能となったのでした。)

 北区と北区議会は、「新幹線建設問題とは切り離す」ことを条件に、この案を了承し、赤羽線十条駅周辺の連続立体交差化事業開始に向けて、都市計画決定を目指ことになったのです。
 そこに、さきに触れた新幹線建設容認の動きが起きました。国鉄側は、新幹線建設とともに、赤羽駅から大宮までの間に、新幹線と併走する形での「新線」の設置を提案してきました。それが今日の「埼京線」となったわけです。
 埼京線は十両編成ですから、そのための十条駅ホーム南側の延長がされ、踏切手前ぎりぎりのところまでホームが延長されました。赤羽駅は、連続立体交差化事業との関係で、いまのような状態になり、また池袋駅も南側にホームを延伸する形で走行が可能になったのです。そうすると、十条駅周辺は、十条道踏切が「開かずの踏切」になるという問題が発生しました。そこで、埼京線の地下化による連続立体交差化をとの声が、再び、住民側から出されるようになったのです。地元商店会、町会、住民が一丸となっての、「地下化促進協議会」が設立され、地元選出の都議、区議らが顧問として「協議会」に参加、北区議会も決議をあげるなどこれを応援。東京都などにたいして、区民運動を展開しました。(この「協議会」の解散は、つい先日のことです。)

 事業化が進まない理由は
 昭和60年代には、国鉄・JR、建設省、東京都、北区で、地下化を含めて、16通りの案が作られ、その都市計画化の作業が始まったのでした。  しかし、東京都による都市計画決定にむけての作業は、遅々として進まなくなってしまいました。その理由はいくつか考えられます。第一は、北区の立体化事業の要件としての、二つの都市計画道路の解消という問題でした。これは、補助84号線(板橋街道を経て北養護学校前を通過し、帝京病院いいたる路線)のうち、北区側が完成し、それにともなって埼京線に十条台橋がかけられた結果、「二つ」が「一つ」になってしまったからでした。東京都はさかんんにこれを理由にして、事業化を遅らせてきました。

 第二は、国鉄がJRに、つまり私鉄となった結果、公共交通機関としての使命感が薄れ、結果として営利は追求するが、ラッシュ・アワーの解消などには、あまり力が入らなくなったということがあげられます。地元自治体にたいする協力姿勢も、大幅に後退しています。その結果、公共事業に協力する姿勢が、弱くなってしまったのです。

 第三は、施工主体となる東京都の公共交通にたいする考え方が、これも「開発にかけるコストを取り返す」という営利追求型に変わっていったということがあげられます。これは、小田急線の立体化にあたり、住民側は、騒音解消等を理由に地下化を求めたにたいして、高架下の「有効活用」をはかる東京都と対立した、ということにもみられたものです。

 小田急線をめぐっては住民側が訴訟を起こし、裁判では勝訴しています。騒音対策を軽視し続けてきた東京都が裁判では負けた格好となりました。それでも工事は強行されて、いまに至っています。

 第四は、十条駅周辺の再開発との連動を、国・政府が言い出し、東京都も、赤羽北再開発の失敗を棚上げして、十条駅再開発に乗り出してきたことです。このときに、「埼京線の立体化問題は後にして、まず再開発を」という論調が前面に出されました。

 こうした状況を反映して、北区議会は地下化をを決議してがんばり、北区もまた「立体化」と言葉を明確にしないまま東京都に働きかけをしてきたのですが、事業化への道は遠のく一方ということになっていたのです。「立体化」とは、高架と地下の両方の意味を含ませたものの言い方で、課題を明確化せずに、東京都次第にしてしまう危険性を持っています。それはある意味で東京都側の「要求」でもあります。高架地下の決定権は東京都の側にあるというわけです。そこで北区が、地下化を求めてくることがおもしろくないのです。この東京都の都市計画に対する考え方は旧態依然のものです。つまり、上意下達の都市計画思想なのです。わたしが「まちづくりの主人公は住民」という言葉を重視する理由は、こうした古い思想を打ち破る必要があるからなのです。

 ところが北区は、そういう東京都の姿勢にすぐに「屈服」してしまいます。なぜかというと、北区の建設部局は、東京都からの役人の「天下りさき」にされているからです。私はことあるごとに、そうした慣習はもうやめろと言ってきたのですが、花川区政になってからもこの「悪習」は続いています。都の職員が悪いという話をしているのではありませんが、都市計画事業において、北区や、住民サイドの立場に立つことが薄く、すぐに東京都の立場を優先してしまいます。住民サイドからは、まちづくりに関して、すぐに職員が交代してしまうという不満にもなります。約束が継承されなくなってしまうからです。

 最近、この「立体化」を求める署名運動が地域で始まりました。北区が主導しての運動ですが、形は「まちづくり協議会」などの主導となっています。私は「立体化」を推進するという目的のこうした署名運動そのものは必要と考えていますが、住民サイドからの要求として掲げるならば、「地下化」を明記した方がいいと思います。

 東京都の「地下化」を避けたいとする意向には、財政問題を理由にしたものでもありました。よく言われてきましたが、地下化は予算規模をふくらませてしまうという「言い訳」であったのです。
 しかし、これも、私が質問を通じて明らかにしてきましたが、事実に反する議論でした。

 一般的な工事費用だけを比較すると、高架化工事よりも地下化工事の方が、高額になりがちであったことは確かなことです。しかし、これは、じっさいの工事費のみの比較においてです。高架化工事は、線路両面に側道をもうけなければなりません。そうすると、現行線路の両サイドの民家等を買収して、そのスペースを確保しなければなりません。その用地等の買収費用が、ときによっては工事費そのものよりも高くつくことがありました。

 当初の計画案では、地下化の際にも、線路片側の買収が必要と考えられてきましたから、地下化の方が、高架化よりも高くなるかもしれないとされてきました。しかし、現在においての地下化工事は、上部に鉄道を走行させたまま、地下トンネルを堀抜くこともできるようになり、用地買収がほとんどなくてもすむようになりました。したがって、費用においても、地下化の方が安くてすむ可能性すら浮上してきているのです。

 実例も生まれました。目黒線の連続立体化工事は、線路の真下を掘り抜く工事を行い、駅前の再開発とも関連づけながら、地域の商店街を生まれ変わらせた経験を生みだしたのです。区としては目黒区と品川区が関係していますが、区の自己負担分は、私の推計ですが、40億円から50億円というところかと思います。この費用を10年間ほどの工事期間を通じて支払うわけですから、年間約5億円ほどの負担で、十条駅周辺の地下化が実現できることになります。この程度の負担額ならば、北区でも十分に対応はできます。あの東十条駅北口のバリア・フリーでも総工費は11億円ほどかかっていますから、十条駅周辺の地下化の際にこのくらいは、どうしてもかかってしまうでしょう。

 最近になって、東京都は、連続立体交差化事業の要件を大幅に変えてきました。自動車の渋滞解消や踏切の除却に重きを置いて、埼京線十条駅周辺の立体化事業の優先順位を大きく上げてきたのです。
 施工主体を負う東京都が、都市計画事業化のための作業をまじめに追求すれば、話は大きく動くことになります。あらためての、住民サイドの関心を呼び起こす必要があるかと思います。そこで署名運動も始まったわけですが、埼京線地下化問題としては、重要な局面を迎えているといえます。


北区都市計画審議会が傍聴できるようになりました。
 すべての都市計画を決定する機関が都市計画審議会です。埼京線の地下化も、また、駅前再開発もまず都市計画決定がなされて、その後に、国の国庫補助の対象となる「事業化」となります。この、国庫補助の対象とならないと、道路や公園、あるいは各種の再開発事業のほとんどが出来ないことになります。 都市計画審議会は、都と区の二つの審議会があります。

 日本の都市計画の決定権は地方自治体に与えられているのですが、議会の側にないことが、日本独特のもので、区と都の「審議会」の決定が、都市計画決定になる仕組みです。この「審議会」の傍聴が、長い間できませんでした。傍聴に制約をかけてきたのは、自民党を軸とした、北区議会与党でした。

 従前の都市計画決が、住民に不利益をもたらすものが多かったためということもあり、その情報が、住民に伝わりきらないうちに、決定手続きを済ませてしまおうという、こんたんも働いた結果といえます。現行の都市計画道路などは、ほとんどの路線が、官僚たちが勝手につくり、それを勝手に決定化したものでした。それでは「まずい」という意識が働いた結果、現在では、事業化に当たり、新ためて住民の意見を取り付けるようになったのです。

 二十年ほど前から始まった、地域の「面開発(たとえば上十条3、4丁目で始まった『木密再生事業』)」では、各種の協議会が設置されて、事前の住民の合意形成に時間をかけるようにもなりました。私たちは、官僚的な都市計画から、住民の合意を前提とした、また住民が参画する都市計画を求めて、活動を進めてきたわけです。

 そうしたなかで、ようやく、審議会の傍聴が可能となり、自分たちのまちの問題が、いかなる審議を経て決められていくかを、住民が知ることが出来るようになりました。
 私は、昭和56年の都市計画道路の全面的見直し以来、審議会の傍聴は、地権者・住民の権利であることを主張し続けてきました。そうした住民に対する「秘密」をなくすことも、「住民が主人公のまちづくり」の要点であったとおもいます。北本元区長のもとでは、それが実現しませんでした。

 傍聴といえば、北区議会では長く、委員会の傍聴が出来ませんでした。傍聴人がいると、「本当のことがいいにくくなる」という理由がまかり通っていたのです。そうした「知らさない主義」のもとで、議会においては自民党の単独過半数時代が続いていたのでした。


医療の営利化を許さない
 東十条オリンピック病院問題


 これからの医療は「50兆円産業である」として、スーパーマーケットのオリンピックが、病院をチェーン店のようにして各地に進出。私たちは、東十条への進出を画すこの「オリンピック病院」の進出反対闘争を展開しました。
 この運動は当初、建設予定地隣接北側に位置する東十条保育園が日陰になってしまうことから、保育園父母らが結集しての「保育園の日照を守れ」の運動として発展しました。私も、この保育園に娘をあずけていたこともあって、父母の代表としてこの運動をくり広げていくことになりました。
 結果として、東十条病院は建設されましたが、医療法人格は、日大病院を主体にすることで決着がつけられました。しかし、オリンピック・グループは、医療機材の調達や、病院の家賃を高額にして、病院収入から巨額の利益を吸い上げてきたのでした。国・政府による医療崩壊策の強行によって、どの病院も、経営難におちいり、また、看護師や医師不足に悩むことになりましたが、東十条病院はオリンピックグループから多額の負債を課せられることになり、とうとう経営破綻を来してしまったのです。日大は撤退し、院長不在の事態となりました。東京都からの許可条件を失うことにもなって、廃院となったのでした。
 東十条保育園の方は、同地を日本製紙から北区が買い上げての区民センター建設が決まり、その3階部分に収まる格好で、現在に至っています。
 この運動ののもう一つの特徴は、公立保育園の環境を守る立場から、北区役所の労働組合職員が、労組としてこの運動に参画したことです。


 新幹線問題では、13年間にわたる住民運動の先頭に立ち、走行速度制限、環境保全、高架下の区民利用などを勝ち取り、いまもJRに守らせています。
 
「13年史」と「裁判闘争の記録集」
 
廊下まであふれる傍聴者の前で質疑
 
質疑打ち切り動議を発言する山崎三男区議
議長は公明党原田区議、
委員長は自民党 富岡博文区議
 
廊下における「抗議集会」の模様

 この運動は「東北新幹線現在計画反対運動」という名称がつけられました。上野・大宮間を地下トンネル方式で走行せよという政策提言も出しました。
 今年、新青森駅までが開通しましたが、騒音・振動値で住居地域の環境基準が守られているのは、東北・上越新幹線走行地域では、北区内区域だけです。

 私と中川大一区議は、一期目のときに、新幹線問題で、問責決議をしかけられました。私は、中川大一区議の決議案にたいして反対討論を行い、中川大一区議は私の決議案に反対の討論をしました。自民党と公明党により、この決議案は、採択されましたが、二人は正々堂々と、新幹線現在計画反対運動に邁進しました。

 じつは、この「問責決議」が出されるきっかけは、私の委員会質疑にありました。新幹線現在計画反対運動は、最初は北区長、北区議会を先頭に、沿線町会や自治会、そして住民がこぞって参加する一大区民運動でした。それは、あの王子野戦病院を閉鎖させて、現在の中央公園を実現させたときの「区民協運動」を教訓としてのものであったのです。ところが公害付きであっても、住民の意思を無視して、新幹線を強引に通せという党上層部からの支持を受けた自民党や公明党は、赤羽駅立体交差化の実現など「七条件」を国鉄に飲ませて、反対運動から手を引く。そして、区長や区議会が、新幹線建設賛成に回ることにしたのでした。

 その「条件付き賛成」の前提であった、工事測量の開始を認めようとして開かれた特別委員会の席上で、私は、新幹線公害の現実を、名古屋訴訟の資料をひもときながら、延々と質疑したのでした。私は、委員会が閉会時になるまでがんばるつもりで、自分の質疑材料を準備していました。

 廊下まであふれる傍聴者の前で「環境保全」をもとめての質疑を繰り広げていた最中に、業を煮やした自民党区議が、質疑打ち切りの動議を出し、自民党と公明党が強行採決に踏み切ったのです。しかし、傍聴者は、委員長席に詰め寄り、委員長と議長が包囲されて、住民から抗議を受けるという場面にもなったのでした。委員会は「採決無効」を叫ぶ住民や議員たちのヤジと怒号のなかで、閉会してしまったのです。

 私と中川区議は、その混乱の原因者とされて、問責決議を受ける羽目となったのでした。当時は、自民党と公明党をあわせると過半数を超えた勢力であり、こうした強引なことを平気でやってきたのです。

 北区と議会が「賛成」に回り、公害問題の解決を求めての運動は住民の側から起こす裁判闘争に託されていきました。自民党と公明党は、「条件闘争」をしたわけではなくて、環境保全を具体的な指摘のないままの、「七つの条件」を付して、新幹線工事強行に道を開いてしまったのです。環境はそっちのけであったのです。

 そのときの争訟の趣旨が、「環境破壊の未然防止」でした。名古屋争訟で、新幹線の環境破壊は明らかであり、それを「未然に防止」するという論立てをしての裁判でした。この「未然防止」の発想は、それまでの環境問題での裁判闘争にはないものでした。
 そしてこの大闘争の展開があって初めて、国鉄史上類をみない、国鉄と住民間の「公害防止協定」が結ばれたのでした。
 北区内通過時の新幹線は、110キロメートル以下/毎時、振動は70デシベル以下とする環境保全の協定が取り交わされたのです。ですから、今でも、北区内通過時の新幹線は、在来鉄道線よりも「静かだ」との声が出されるほどに、沿線住民の生活を守って走っているのです。


 高速道路王子線問題では、東京都の環境アセスメントが、「環境アワセメント」になっていることを具体的に暴露し、都市密集地域への高速道路の建設がもたらす環境破壊を明らかにしました。都・アセスメント条例の適用第一号となった高速道路王子線でしたが、この「環境アワセメント」を住民運動の「武器」にして、沿線の環境保全を前面に据えたたたかいが、その後展開されていったのでした。そのときに「事後アセスメントの実施」や、道路騒音防止策の実施等が約束されたのでした。
 また、高速道路王子線は、道路建設に税金を湯水のように使う道路行政の象徴的存在でもありました。1メートル造るのに1億円もかかる道路建設であったのです。
 しかも、堀船地域では、道路建設に関する護岸工事の不手際を原因とする「洪水被害」が二度にわたり起きています。
 高速道路建設は、このように、公共工事のあり方そのものを根本から問う問題でもあったのです。
 鈴木俊一東京都政が、臨海副都心建設など、大型公共事業優先主義におちいり、都財政を破綻させていきましたが、高速道路王子線建設は、そうしたゼネコン奉仕型の公共事業の典型でもあったのです。
 環境保全を求める各種の運動から私は、「これからの道路建設や都市開発、あるいは公共施設建設にさいしては、みどり、自然の保全に努めることはあたりまえであり、その開発等を通じて、環境をいっそうよくするものでなければならない」を持論とするようになりました。その視点から、まちづくり問題に関する質問を無数に展開することになったのです。


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