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21世紀 自由の国への選択

必然の国から自由の国へ

 このページは日本の地方自治制度がどんなかたちで発展していくのかを探求するために開きました。わたしたちの住むまち・北区における真の自治の発展のために、いま解決すべき問題はなにか。ごいっしょに考えましょう。

 わたしが研究する「カール・マルクス」と「フリードリヒ・エンゲルス」は、生涯をとおして「科学的社会主義」理論を確立しようとした人です。この二人の社会学者は、人類がやがて到達するであろう未来社会を、「共産主義社会」として構想しました。

 その社会は、あくまでも社会であり、特定の民族や、人間集団を支配したり、統制したり、秩序化したりするための「国家」を必要としなくなった社会でした。いまのわたしたちが考えるような「国境」もありません。
 もちろん国家間の戦争も消滅しています。

 その社会のことをエンゲルスは、『空想から科学への社会主義の発展』という本の終わりのところで、こう述べています。
 「人間は、自分自身の社会的結合の主人となるからこそ、またそうなることによって、いまやはじめて自然の意識的な、ほんとうの主人となる。……人間は、十分に意識して自分の歴史を自分でつくるようになる。……これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である。」
(『マル・エン全集(大月書店刊)』第19巻223n)

 「自由の国」を支える基盤を、二人の社会学者は、高次の経済力の安定的な確保におきました。それは世界的規模での、高次な経済力の確保を前提としています。この豊かな基盤の上に、豊かな高次元の「福祉社会」が生まれます。

 「自由の国」の高次元の「福祉社会」を支える、もう一つの基盤は何か。わたしは、それは自治の力だと考えています。高次の自治力が人間集団のなかで育つことを前提に、高次元の「福祉社会」が支えられ、人間社会が「自由の国(国家ではない、ゾーンという意味)」となるのでは、というのがわたしの考えるところです。


 二つの基本構想

 わたしたちは、日本国政府と地方自治体という二つの政府を持っています。
 地方自体は、「広域行政」全般を主な仕事とする都道府県自治体と、「狭域的」な行政に対応する市町村自治体とにわけられます。

 このうちの市が、わたしたちが住む区となります。市=区とおぼえてもらってもけっこうです。
 都と市町村には、上下関係がないことになっています。広域と狭域の役割の分担があるだけというこになっています。

 国・政府は、日本国憲法と法律により律(りつ)されています。
 地方自体は、日本国憲法に則り、法に「違反しない・超えない範囲」で条例によりみずからの行政事務を律しています。

 日本の地方自治制度がつくられたのは、大戦後のことです。日本国憲法とともに法制化されて発足しました。地方自治体を律する大本の法律が地方自治法です。

 国に憲法があるように、地方自治体にも「憲法」が必要であるとの考えと、地方自治行政を計画的に区民参画のもとで前進させるための方策として、「基本構想」の策定を義務化するように地方自治法が変わりました。地方自治体の仕事は行き当たりばったりの思いつきで進めてはならない、住民(市民)にその見通しを示しつつ実行されなければならない、との考えで、「基本構想」の策定が義務づけられたわけです。

 最初の「基本構想」
 
北区が最初の「基本構想」をつくったのが、昭和56年6月、1981年のことでした。[計画的な行政]のあり方を探求するいわば出発となった「画期の書」でした。

 そのときの区長は、小林正千代氏で、公選区長として、二度目の選挙でも選ばれて(最初の区長公選は1975年・昭50)、その公選区長のもとで策定されました。

 わたしたち区議会議員は、大戦後の地方自治制度のもとで、ずーっと選挙で選ばれてきましたが、他の市長とは違って、23区の区長は、戦後の一時期を除き、選挙によって選ぶことができなくされていました。
 ここに、東京都と23区の特別な関係がありました。

 公選制となって二度目の選挙で、再選を果たした小林区長は、「義務化」された「基本構想」の策定のために、「審議会」を設置しました。当然ではありましたが、「基本構想」は区民参加のもとにつくることになったのです。

 この「審議会」に議会側からは正副議長と企画総務委員会委員が参加しました。
 日本共産党北区議員団からは、わたし八百川孝と中川大一区議が参加しました。
 この二人の区議は、区長公選制となった75年(昭50)のいっせい地方選挙で、ともに初当選を果たし、区議としては二期目の時期に審議委員となったわけです。

 自民党が、まだ単独過半数を制し、かつ、公明党が、「新幹線問題」を契機として、与党化していた時代でした。

 二つ目の「基本構想」
 次の「基本構想」がつくられたのは最近のことです。
 平成11年6月、1999年です。
 もともと「基本構想」は、ほぼ20年計画として「構想」されるものですが、その中間点である10年目を節目として、全面的な見直し作業を行うという考え方もあります。
 北区の場合は、その見直しが、18年目に行われることになったのです。ほぼ20年計画通りに行われたといえます。

 わたしは今回の「基本構想」づくりにも、「審議会」委員として参加することができました。自慢ではありませんが、当初と二度目の「基本構想」づくりを、審議会委員として手がけた区議会議員は、わたしだけではないかと思います。

 最初の「構想」づくりの中で

 「審議会」の審議の模様を少し紹介すると、学識経験者である学者が会長を務め、そのもとで、わたしたち区議会議員と、町会・自治会、商店会、PTA、学校関係者のそれぞれの代表が、委員を務めるというかたちでした。

 しかし「審議会」における実際の議論は、自民党委員と共産党委員の「一騎打ち」みたいな局面での議論が多かったと記憶しています。

 特に、日本国憲法の「五原則」をしっかりと明記せよとするわたしたちの主張と、その精神を「柔らかく」位置づければよしとする自民党委員との間での論争が、何回かの「審議会」をまたいで行われたことをよく覚えています。

 結局、わたしたちの言い分が通るかたちで、日本国憲法については「T基本構想の意義と役割」で「区民の憲章」との位置づけを明確化した次の「U基本理念と将来像」において、次のように記されたのです。

U基本理念と将来像(U全文)
1基本理念
 北区は,明治以来,都内ではもっとも多くの軍用地や軍需工場が集中的に立地する軍事拠点として発達し,太平洋戦争では多大な戦禍をこうむった。しかし戦後,区民と区の懸命な努力によって居住性の高い平和な商工業と住宅のまちとして発展しつつある。

 特別区としての北区は,日本国憲法の制定とほぼ時を同じくして誕生し,その後の発展も日本国憲法の基本理念である平和・民主・自由・人権・自治の諸原理に負うところが大きい。これらは北区が21世紀に向けて一層住みよい人間性豊かな共同社会として育つうえにおいても不可欠なものである。これらの原理を基調としつつ,次の三項目を基本理念とする。

(1)平和で自由な共同社会の実現
 人間は,平和で自由な環境においてはじめて能力をのばし,創造性を発揮することができる。区民がそれぞれの年齢や職業に応じて快適な環境のうちに個性を活かし,自らの幸福を追求するための平和で自由な共同社会を実現する。

(2)人権及び人間性の尊重
 区民の福祉は,区政の最大の眼目である。しかし年齢,性別,人種あるいは身体的障害など理由を問わず社会的差別の存在するところに真の福祉はありえない。
 また公共の利便といえども,それによって関係住民の人権が一方的に制約されることがあってはならない。
 その意味で,法の下における平等と基本的人権を保障した日本国憲法の精神にのっとり,人権及び人間性を最大限に尊重する。

(3)地方自治の確立
 特別区は従来,東京都の"部分団体"として東京都政を補完することに区政の重点が置かれ,区民の意思を区政に反映する点で十分な配慮を欠くうらみがあった。昭和49年の地方自治法の改正によって,この点に関して重要な改善をみたが,区民福祉のために特別区がなしうる権限はなお多くの制約をうけている。
 行政の民主化と住民福祉の向上のために,21世紀に向けて市と同等の権限を持つ基礎的な自治体としてなお一層地方分権の促進と自治の確立に努める。
 また,「自分たちのまちは自分たちでつくる」という考え方に基づいて区民参加の促進を図る。


 ここで注目してほしいのは、憲法「五原則」が明記されたこととともに、地方自治の本旨とも呼ばれていた、基本的人権の尊重や、基礎的自治体(市と同等の権限を持つという意味)となるための北区の決意までが「理念」として掲げられたことです。


 これは余談としてお話ししますが、(1)平和で自由な共同社会の実現という「理念」を掲げたことに注目してください。

 わたしが、本ページ冒頭で取り上げたエンゲルスの言葉に、「これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である」とあったでしょう。

 当時は、旧ソ連もまだ「健在」で、中国とともに「共産主義国家(共産主義と国家は矛盾する用語なのですが)」の双璧を成していました。
 日本では、誰もが、社会主義国家とか共産主義国家という場合、中国や旧ソ連邦を指していたし、イメージしていました。

 ほかならぬ日本共産党自身も、ソ連邦や中国を、マルクスやエンゲルスが構想していた社会主義国家であるとの見方をしていました。

 その社会主義国家とは、全体主義の国であり、民主主義とか自由という言葉とは相反する存在であるというのが、当時のアメリカや日本の国民間の一般的な考え方でした。

 ところが、その共産主義社会を構想した本家本元の一人であるエンゲルスは、とっくの昔に、共産主義社会とは「自由の国」のことだと喝破していたのです。
 この二人の社会学者の構想を丹念に探ると、その「理想社会」は、より完全なる民主主義の追及の結果生まれる社会ということになります。完全なる民主主主義の追及とは、より高次の基本的人権の尊重を前提としなければ成り立たないもの、とわたしは確信します。

 その構想が、なぜ中国や旧ソ連になってしまったのか?
 その疑問に答えるためにわたしは、このホームページで「夢・共産主義」という論文を掲載しています。興味のある方はぜひお読みください。

 話を戻して、
 共同社会という言葉について注目してください。
 語源は、コンミューンです。共産主義社会と同じ意味なのです。
 平和で自由な共同社会とは、まさにわたしが理想とする社会そのものなのです。

 だとすれば、いまからもう20年も前につくった、北区基本構想は、地方自治と住民自治の発展が、人類を平和で自由な共同社会へと導くものであると、宣言していたことになります。

 1986年(昭61)3月15日に、北区は「平和都市宣言」を出しました。

 平和都市宣言
 真の平和と安全を実現することは、私たちの願いであるとともに、人類共通の悲願であります。私たちは、日本国憲法に掲げられた恒久平和の理念に基づき、平和で自由な共同社会の実現に向けて努力しています。
 人間のぬくもりを感じるふるさと、美しい自然をこれから生まれ育つこども達に伝えることは、私たちに課せられた大きな責務であります。
 私たちは、わが国が非核三原則を堅持することを求めるとともに、心から世界の恒久平和と永遠の繁栄を願いつつ、ここに北区が、平和都市であることを宣言します。


 それでは、わがふるさと北区における真の地方自治の発展を願って……

2002年11月1日 八百川 孝