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その4
北区議会・憲法9条を守る会が
「3.26大田昌秀・講演会」につづき
「4.16〜18沖縄視察」を実施
2010.5.31

  
北区のホームページに紹介されている「平和マップ」


 沖縄の米軍基地問題は、1972年の施政権返還後は、日米安全保障条約・日米地位協定に基づく問題としてとらえる必要があります。ちょうど今年2010年は、1960年の日米安保条約の改定から50年目の節目の年となりました。

 60年当時沖縄は、大戦後の米軍占領下から、サンフランシスコ講和条約に基づく米政府の施政下・沖縄となっていました。この頃に沖縄の米軍基地群は、「銃剣とブルドーザー」によって強奪され、米政府施政下で朝鮮戦争やベトナム戦争の出撃基地にされていました。

 そのベトナム戦争の終結期に入るかという1972年に、沖縄の施政権がようやくにして日本に返還されました。沖縄の核と、出撃基地という「おまけ付き」で、沖縄が日米安保体制下に入り、同時に日米安保は、核安保であり、戦争出撃安保となったわけです。佐藤栄作氏による核密約は、このときに交わされたものでした。



 大田平和総合研究所
大田元県知事と

大田事務所にて


3.26「講演会」後 食事をしながら懇談


「講演会」で熱く沖縄を語る(3.26)


大田事務所にて


 視察2日目、佐喜眞美術館を訪ねたその足で、大田昌秀元沖縄県知事が主宰する大田平和総合研究所を訪問しました。

 3月26日、北区議会・憲法9条を守る会が開いた結成5周年記念講演会で、講演してもらったお礼をかねての訪問でした。

 私として、再度、聞いておきたいこともあっての訪問でした。

 那覇市内にある研究所の看板は、写真のとおり。

 室内は、書籍やファイルがぎっしりつまった書棚がズラリ。スタッフの方にご案内いただき中へ進むと、大田さんがにこやかに迎えてくれました。

 となりに座らしていただき、私は、「いまの沖縄は以前のときとまったく違う。今回は、途中で妥協勢力が出てくるような動きにはならないのではないのか」と口火を切りました。

 大田さんは深くうなずきながら、口を開きました。

 大田「普天間基地を返還するかわりに代替施設をといいますが、グアムにはすでに4本の滑走路をもつ基地があります。これを使わない手はないでしょう。私はグアムやテニアンの関係者と会っているが、向こうでは海兵隊が来ることを歓迎しています。マスコミはなかなかこういうことを書きませんね。」

 「日本政府がそうしている」

 大田(うなずきながら)「この間、グアムの知事にお会いした時に、『地元の反対はありませんか』と尋ねたら、『基地の移転には、いつでも反対する人がいます。でもそれはグアムの問題ですから、日本のみなさんが心配することではありません』と言ってくれました」と、グアム知事の発言を紹介しました。


 グアムでは、B52などが、米国本土に帰ってしまい、米軍による本土からの「恩恵」が薄れています。そこに沖縄からの海兵隊の受け入れが決まり、そのための整備が進んでいるのです。地元グアムでは、こうした事情から、沖縄からの基地移設に「歓迎」の意思をあらわにしているわけです。

 米国内問題とはいえ、グアム知事のような 基地歓迎の考え方には、釈然としないものを感じます。

 一つは軍事優先のままでいいのか、という問題です。
 お国柄といえばそうなのですが、米国では、世界でダントツの軍事予算をくんで、世界中に米軍基地群を置き、その軍事施設を維持管理するために莫大な米ドルを流出させて、それが収支の赤字の原因にもなっています。帝国主義、単独主義などと呼ばれてきた所以です。日本は、その米国の赤字国債を日本で国債を発行して大量に数百億円分も、買ってあげたりしています。

 その予算規模は、いまや世界第二位いともでいわれる中国のなんと10倍近いものです。日本は、じつはその中国の軍事予算と規模においては同じくらいのレベルになっています。最近まで、日本の軍事費は、米国に次ぐ位置にいましたが、ここ二年来で、日本より中国の方が上回ったと言われています。

 軍事からものを語ろうとする人は、軍事バランスで、釣り合いをとっておいて、国と国との外交が成立すると考えます。
 それでいけば、日本の立場は、ロシアを含めてのアジアにおいて、ダントツのアメリカと世界第二位の日本の軍事ブロックこそが、「帝国」をなしており、は、
 どの国でも軍事が優先されると、社会保障関連予算が圧迫もしくは縮減してしまいます。そして、その国の経済を、軍事優先のもとにゆがめていきます。「軍栄えて福祉枯れる国」へと変貌していくのです。旧ソ連邦は、絶えず国家予算の三分の一から四分の一が軍事費で、それが体制崩壊の要因ともなりました。

 中国における社会保障諸制度は、「未分化のレベル」であり、最初から低水準でしたが、軍事補の増大は、貧困層の広がりに、いっそう拍車をかけるものとなっています。一方、先進国と呼ばれながらも、その社会保障制度の劣悪さでは世界でトップクラスのアメリカでしたが、そのアメリカ並みの社会保障制度にしようというのが、日本ということになります。小泉構造改革がそれでしたが、この構図を見ると、軍事優先の国ほど、社会保障は薄いということが、よくわかります。

 そおした「お国柄」ですから、グアム島のような小国内に、米軍基地施設が拡大されること自体への拒否感は薄いのかもしれませんが、いつまでも軍事頼みの島でいいのか。太平洋の真ん中に、アジア諸地域ににらみをきかすように、米軍基地施設が整備されている姿そのものに、何の疑問も持たないでいいのか。私はグアム知事の発言を聞くにつれて、複雑な心境になります。

 日本でも、貧しい財政の元に置かれている地方自治体では、例えば北海道などに出向くと、「自衛隊歓迎」の看板を掲げて、誘致運動をしているところが、けっこうたくさんあります。原子力発電所を誘致する自治体もそうした事情の元に置かれています。青森県六ヶ所村は、同様の理由から、核物資廃棄物の「ゴミ捨て場」になっています。どうやら、米国政府も日本政府も、「貧しさ」につけ込んでの、安全保障体制をつくりあげてきたようです。ほかならぬ沖縄がその典型であったのではないでしょうか。


 もう一つの問題は、海兵隊とは、殴り込み部隊であって、けっして「国を守る」軍隊ではない。ましてや日本を守るなどという意識にはない。その戦争仕掛け部隊が、日夜、戦闘訓練に明け暮れているわけですから、米軍基地群周辺の街では、いつも危険と隣り合わせに置かれてしまうわけです。
 その危険とは、少女暴行事件にみるような強姦事件、強盗、あるいはひき逃げなどの交通事故、このほとんどは酔っぱらい運転によるものですが、こうした事件が頻発する。これは、しかも米兵の身柄拘束が思うようにできない、あるいは起訴して裁判することができないなどの「治外法権」ぶりですが、そうしたことを含めての危険にさらされながら島民は日常生活をしなければならない、そういう危険です。

2004年8月13日PM2:15頃 沖縄国際大学への
米軍ヘリ墜落事故直後の様子
(宜野湾市発行パンフレットから)

 また、飛行機やヘリコプターの墜落事件や、射撃訓練による誤爆も多く起きています。読谷村の項で、空からトレーラーが降ってきた事件を紹介しましたが、米軍にとっては沖縄県民は「虫けら」同然なのです。
 これが「基地の町」の実態でもあるならば、それをグアムのみなさんに押しつけてよしとするわけにはいかないのは、当然のことです。

 左写真は、まだ記憶に新しい2004年のヘリ墜落事故の模様です。普天間基地の写真(下)に墜落現場位置がわかるように印を入れておきました。

 じつは、普天間基地のような危険な基地は、アメリカ本土では、それこそ砂漠の中にしかまず造ることができません。ニューヨークの真ん中に普天間基地があることを想定してみてください。信じられない光景が浮かぶはずです。沖縄では、その信じられないことが、現実のことであり、それがずーっと続いてきたのです。

 ですから、私たちは、単純に米軍基地は全部グアムに行けという言い方はしていません。米軍基地は、すべてアメリカに戻れと言っているわけです。あとは基地群を引き取るアメリカ政府が、考えるべきことだというのが、私たちの基地撤去を求める立場です。しかし、グアム移転問題では、すでに米政府の方針により、その再編計画に則った形で、沖縄の海兵隊の移設計画が進行しています。それによれば、海兵隊員8000人とその家族9000人が、グアムに移転する。そのための基地整備を行うにあたり、その費用負担を日本政府に行わさせるとしたのです。

 そこをとらえての、大田さんの発言であったのです。
 
 大田元県知事や、宜野湾伊波市長、あるいは名護稲嶺市長もそうでしたが、いま沖縄では、普天間返還が日程に上り、グアムへの海兵隊移動が具体化されるにつれて、なにも辺野古に米軍基地をつる必要はないのでは、との議論が大きく盛り上がっています。日本政府は代替え施設があたりまえのようなことを言いますが、今回の規模のグアム移転が実現できるならば、また、グアムの飛行場整備が進むのならば、なにも辺野古に新基地を建設してあげることなどの必要性は、なくなるのだというわけです。



 私たちが目の当たりにしている普天間基地問題とは、そもそもどのような問題なのでしょうか。なぜ、米軍基地問題の中で、この普天間基地だけが大きな問題とされてきたのでしょうか。

 話は、1995年にまでさかのぼります。
 あの少女暴行事件は、その年の9月4日に起きました。
 近くの文房具店で買い物をした小学生・少女を、3名の米兵が襲いかかり、車に押し込んで、抵抗する少女の目と口をガムテープでふさぎ、2キロほど離れた農道にまで連れ提起、車の中で繰り返し暴行を加え、車から放り出して逃走したという事件でした。
 少女は、現場から一キロほど離れた集落まで歩いてたどりつき、民家に入って、そこから自宅に電話をして、事件が発覚したのでした。

 通報を受けた沖縄県警は、捜査を開始。レンタカーの線から元海軍一等水兵22歳、海兵隊一等兵20歳、同21歳の3名の黒人兵を割り出しました。基地内のゴミ箱から、粘着テープ、ティッシュ、血痕の残る布や少女が買ったノートが見つかり、血液型、指紋などから、この3名の容疑が固まり、県警は、裁判所に逮捕状を請求。身柄の引き渡しを要求しました。それが7日でした。

 しかし、米軍は、地位協定17条5項Cをたてに引き渡しを拒否、身柄は米軍が拘束したまま、米軍憲兵が付き添って県警に出頭させ、捜査をすすめさせるという状況が続きました。那覇地検は29日にようやく公訴を提起し、そのときに3名の米兵は、捜査機関に身柄がわたされました。

 事件が明るみに出たのは、8日付の地元夕刊紙の報道を通じてでした。
 県民の怒りは大きな渦巻きのようにして広がりました。

 県民の怒りの広がりには、大きな理由があります。
 犯罪そのもの残忍さもさることながら、沖縄では、米兵による女性に対する強姦・殺害事件はあとを絶たずに起きてきました。
 1972年(昭和47年)8月宜野湾市大謝名での、米陸軍兵による日本人女性37歳に対する殺害の上の強姦。無期懲役となりましたが、9年間で仮出獄しています。
 同年12月には、キャンプ瑞慶覧での、日本人女性22歳強姦の上殺害。無期懲役になるも、9年で仮出獄。
 1982年(昭和57年)キャンプ・シュワーブ所属米海兵隊員による日本人女性33歳強姦未遂殺害。懲役13年。等々の強姦殺人事件が相次ぎ起きるものの、無期懲役となっても仮出獄といった具合で、本土に帰還した後は、自由の身となってしまっています。

 強姦致傷でも、じっさいには泣き寝入りしているケースも多くあって、米兵の犯罪は、まさにあとを絶たないのです。私は、以前の視察の際に、金武町長からその話を伺いました。
 地位協定17条にみられる、日本の従属国それを思わせる有様もまたひどいものがあります。

 この少女暴行事件でも、日本政府のとった対応はひどいものでした。米軍は、関係者家族に対し、「一片の詫び状」を寄越しただけです。日本の村山首相(当時・社会党)は、米軍が身柄を拘束し捜査しているのだから、引き渡しは必要ない」とまで言って、アメリカ政府を擁護しました。抗議の声のひとかけらもありません。こうした日本政府の対応に、県民は、琉球処分以来続く、沖縄県にたいする日本の根強い差別意識を見るわけです。

 ○由美子ちゃん事件。(強姦、殺害事件)
 1955年9月3日、石川市永山盛吉さんの次女由美子ちゃん(当時6歳・幼稚園児)が、嘉手納空軍所属のセイ・ジャック・ハート軍曹21歳に拉致され、暴行された上惨殺された事件。「嬉々として遊んでいた純真無垢な幼女が、一夜明ければ嘉手納海岸の砂浜に、凶暴な野獣の餌食となり、草の葉をにぎりしめ、くちびるをかたくかんだまま、無残な死体となって、投げ出されていた」(沖縄県教職員会・屋良会長)
 米軍完全占領下の当時においては、琉球政府の捜査権も裁判権も米兵には及ばず。県民は無念の思いに駆られました。軍曹には死刑判決が出されていますが、即本国送還となり、その死刑が執行されてのかどうかもわからずじまいで、事件は「落着」しています。

 ○国場君事件
 1963年2月28日 学校帰りの那覇市上之山中学校一年生の国場秀夫君(12歳)が、、一号線(現在の国道58号線の横断歩道を青信号で横断中に、信号を無視して暴走してきた海兵隊員ドナルド・ジャック二等兵(21歳)の車にはねられて死亡した事件。軍事裁判で無罪。

 ○金城トヨさん撲殺事件
 1970年9月18日、糸満市内道路を歩行中の金城トヨさん(61歳)を制限速度15マイルを超える60マイルの猛スピードで暴走してきた酒気運転の米兵がはねとぼして即死させた事件。軍事裁判で無罪。この事件をきっかけとして、コザ暴動事件が発生しました。

 〈復帰前の主な事件・事故〉
 1955年由美子ちゃん事件から1971年10月ジェット機墜落事件までに95件の事件・事故が発生しています。そのうちの米軍人・軍属による刑法犯罪事件は、主なものだけでも72件も発生しています。

 〈復帰後の主な事件・事故〉
 復帰後から1994年までの間の23年間。米軍による刑法犯罪は4675件。その内容は殺人、強盗、放火、婦女暴行ナドノ凶悪犯罪が508件。身柄引き渡し拒否は19件。

 〈このほかに米軍機墜落による人身事故、演習時事故がある〉

 復帰直後に起きた事件としては1975年5月の女子中学生暴行事件があります。
 午後3時頃に、海水浴に来ていた女子中学生に米兵が襲いかかり、重さ1.5キロもの石で頭を殴りつけて暴行に及んだという事件でした。当時日本共産党衆議院議員であった瀬長亀次郎氏は、少女が握りしめていた草の葉をかざしつつ、この蛮行を国会で暴き糾弾。海兵隊の即時撤退を要求しました。
 政府の答弁は、「海兵隊そのものについては、日米安保の目的、すなわち、日本の平和と安全に寄与する存在」とするとして「安保絶対主義」の立場を変えるものではありませんでした。

 最近国会質問で、取り上げられた沖縄普天間基地問題です。
 日本共産党赤嶺正賢衆議院議員 http://jcpakamine.jugem.jp/?eid=319

 沖縄県基地対策課がまとめた『沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)』(平成22年3月)では、その92nから94nに、「米軍構成員等による犯罪検挙状況(※復帰後)によると1972年(昭和47年)から2009年(平成21年)までの間の凶悪犯、粗暴犯、窃盗犯、知能犯、風俗犯、その他の犯罪件数が年時ごとに示されており、その数は、強姦、殺人などの凶悪犯だけでも、次のようになっています。
(「―」は未時計統計)

米兵
関連事件
交通事故数 米兵(家族も)
による
交通事故数
年次 凶悪犯 発生全件数 死者数 負傷者
72 昭47 24 219 2,838
73 37 310 2,602
74 51 318 2,271
75 31 223 1,969
76 49 262 1,896
78 69 342 1,991
79 30 288 1,644
80 43 274 1,576
81 35 321 1,651
82 27 253 1,540 41
83 19 218 1,899 56
84 15 211 2,435 40
85 10 142 2,654 47
86 昭60 13 160 2,401 59
87 155 2,471 72
88 123 2,521 70
89 177 2,694 69
90 平元 160 2,839 60
91 98 2,926 67 98
92 10 116 3,234 69 11 99
93 51 3,336 51 66
94 163 3,169 44 64
95 130 3,096 32 42
96 70 2,928 34 44
97 39 2,944 36 57
98 44 3,118 42 57
99 38 3,805 37 44
00 48 3,904 29 37
01 53 4,294 41 46
02 70 5,115 89 124
03 81 5,759 133 173
04 112 6,127 116 142
05 59 6,512 181 227
06 66 6,519 179 232
07 57 6,653 182 220
08 63 6,525 181 243
09 70 6,509 165 220
10 50 6,324 179 230
562 5,634



 次に紹介する資料は、沖縄県基地対策課が作成した『沖縄の米軍基地』です。基地問題のほぼすべてが、ここに示されています。米軍基地と経済問題の所は、必見です。また地方自治体が、中央政府により、様々な形で「財政支援」を受けている実態も、解明されています。それがいわば、「飴と鞭」となって、中央政府と米政府による沖縄支配が続いているのです。


 県民が総ぐるみで日本政府と米政府にたいして怒りをあらわす最大の理由がここにあるわけです。

 1996年(平成8年)4月当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使との間で、普天間基地の全面返還の約束がなされたのは、こうした県民の奥深い怒りの声を配慮してのものであったのです。このままでは、沖縄の怒りを抑えておくことができなくなる。それが日本政府をして、米軍基地返還の約束となりました。

 それを日本政府は、「安保絶対主義」の立場から、普天間基地の代替え施設を建設しない限り全面返還はしないという「移設先探し」に問題をすり替えてしまったのです。

 まず、沖縄の基地群の実態図をお示しします。同資料から。

 この地図上にある米軍基地群が、那覇空港から、国道58号線沿いに北部に向かって展開されていることを、まず、つかんでください。

 焦点の普天間基地は、那覇空港から、主に左手に展開する牧港の補給基地、その先右手に展開される飛行場です。

 ここで、資料として基地返還を決めた、消えたSACO最終報告1996年(平成8年12月2日)をのせておきます。この「最終報告」で日本政府は、普天間基地をはじめとする米軍基地施設の返還を約束させておきながら、「代替施設」として、沖縄県内に新基地建設を約束してしまったのです。SACOにおける基地返還の約束とは、あの少女暴行事件に端を発した、沖縄県民の米軍基地撤去の要求の高まり、怒りの爆発をおそれた日本政府が、その運動の高揚を押さえ、怒りを和らげるために、とったものでした。約束通りに基地の返還と移設が進めば、沖縄の米軍基地面積は約20%は、縮減することにはなったのです。

SACO(サコ)沖縄に関する特別行動委員会(沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会・日米特別行動委員会;(Special Actions Committee on Okinawa)

池田外務大臣
久間防衛庁長官
ペリー国防長官
モンデール駐日大使

 沖縄に関する特別行動委員会(SACO)は、平成7年11月に、日本国政府及び米国政府によって設置された。両国政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強化するために、SACOのプロセスに着手した。

 この共同の努力に着手するに当たり、SACOのプロセスの付託事項及び指針が日米両国政府により定められた。すなわち、日米双方は、日米安全保障条約及び関運取極の下におけるそれぞれの義務との両立を図りつつ、沖縄県における米軍の施設及び区域を整理、統合、縮小し、また、沖縄県における米軍の運用の方法を調整する方策について、SACOが日米安全保障協議委員会(SCC)に対し勧告を作成することを決定した。このようなSACOの作業は、1年で完了するものとされた。

 平成8年4月15日に開催されたSCCは、いくつかの重要なイニシアティブを含むSACO中間報告を承認し、SACOに対し、平成8年11月までに具体的な実施スケジュールを付した計画を完成し、勧告するよう指示した。

 SACOは、日米合同委員会とともに、一連の集中的かつ綿密な協議を行い、中間報告に盛り込まれた勧告を実施するための具体的な計画及び措置をとりまとめた。

 本日、SCCにおいて、池田大臣、久間長官、ペリー長官及びモンデール大使は、このSACO最終報告を承認した。この最終報告に盛り込まれた計画及び措置は、実施されれば、沖縄県の地域社会に対する米軍活動の影響を軽減することとなろう。同時に、これらの措置は、安全及び部隊の防護の必要性に応えつつ、在日米軍の能力及び即応態勢を十分に維持することとなろう。沖縄県における米軍の施設及び区域の総面積(共同使用の施設及び区域を除く。)の約21パーセント(約5,002ヘクタール)が返還される。

 SCCの構成員は、このSACO最終報告を承認するにあたり、一年間にわたるSACOのプロセスの成功裡の結実を歓迎し、また、SACO最終報告の計画及び措置の着実かつ迅速な実施を確保するために共同の努力を継続するとの堅い決意を強調した。このような理解の下、SCCは、各案件を実現するための具体的な条件を取り扱う実施段階における両国間の主たる調整の場として、日米合同委員会を指定した。地域社会との所要の調整が行われる。

 また、SCCは、米軍の存在及び地位に関連する諸問題に対応し、米軍と日本の地域社会との間の相互理解を深めるために、あらゆる努力を行うとの両国政府のコミットメントを再確認した。これに関連して、SCCは、主として日米合同委員会における調整を通じ、これらの目的のための努力を継続すべきことに合意した。

 SCCの構成員は、SCC自体と日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)が、前記の日米合同委員会における調整を監督し、適宜指針を与えることに合意した。
 また、SCCは、SSCに対し、最重要課題の一つとして冲縄に関連する問題に真剣に取り組み、この課題につき定期的にSCCに報告するよう指示した。

 平成8年4月の日米安全保障共同宣言に従い、SCCは、国際情勢、防衛政策及び軍事態勢についての緊密な協議、両国間の政策調整並びにより平和的で安定的なアジア太平洋地域の安全保障情勢に向けた努力の重要性を強調した。SCCは、SSCに対し、これらの目的を追求し、同時に、沖縄に関連する問題に取り組むよう指示した。

土地の返還

普天間飛行場 付属文書のとおり

北部訓練場
 以下の条件の下で、平成14年度末までを目途に、北部訓練場の過半(約3,987ヘクタール)を返還し、また、特定の貯水池(約159ヘクタール)についての米軍の共同使用を解除する。
・ 北部訓練場の残余の部分から海への出入を確保するため、平成9年度末までを目途に、土地(約38ヘクタール)及び水域(約121ヘクタール)を提供する。
・ ヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する。

安波訓練場
 北部訓練場から海への出入のための土地及び水域が提供された後に、平成9年度末までを目途に、安波訓練場(約480ヘクタール)についての米軍の共同使用を解除し、また、水域(約7,895ヘクタール)についての米軍の共同使用を解除する。

ギンバル訓練場
 ヘリコプター着陸帯が金武ブルー・ビーチ訓練場に移設され、また、その他の施設がキャンプ・ハンセンに移設された後に、平成9年度末までを目途に、ギンバル訓練場(約60ヘクタール)を返還する。

楚辺通信所
 アンテナ施設及び関連支援施設がキャンプ・ハンセンに移設された後に、平成12年度末までを目途に、楚辺通信所(約53ヘクタール)を返還する。

読谷補助飛行場
 パラシュート降下訓練が伊江島補助飛行場に移転され、また、楚辺通信所が移設された後に、平成12年度末までを目途に、読谷補助飛行場(約191ヘクタール)を返還する。

キャンプ桑江
 海軍病院がキャンプ瑞慶覧に移設され、キャンプ桑江内の残余の施設がキャンプ瑞慶覧又は沖縄県の他の米軍の施設及び区域に移設された後に、平成19年度末までを目途に、キャンプ桑江の大部分(約99ヘクタール)を返還する。

瀬名波通信施設
 アンテナ施設及び関連支援施設がトリイ通信所に移設された後に、平成12年度末までを目途に、瀬名波通信施設(約61ヘクタール)を返還する。ただし、マイクロ・ウェーブ塔部分(約0.1ヘクタール)は、保持される。

牧港補給地区
 国道58号を拡幅するため、返還により影響を受ける施設が牧港補給地区の残余の部分に移設された後に、同国道に隣接する土地(約3ヘクタール)を返還する。

那覇港湾施設
 浦添埠頭地区(約35ヘクタール)への移設と関連して、那覇港湾施設(約57ヘクタール)の返還を加速化するため最大限の努力を共同で継続する。

住宅統合(キャンプ桑江及びキャンプ瑞慶覧)
 平成19年度末までを目途に、キャンプ桑江及びキャンプ瑞慶覧の米軍住宅地区を統合し、これらの施設及び区域内の住宅地区の土地の一部を返還する。(キャンプ瑞慶覧については約83ヘクタール、さらにキャンプ桑江については35ヘクタールが、それぞれ住宅統合により返還される。このキャンプ桑江についての土地面積は、上記のキャンプ桑江の項の返還面積に含まれている。)

訓練及び運用の方法の調整

県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練
 平成9年度中にこの訓練が日本本土の演習場に移転された後に、危機の際に必要な砲兵射撃を除き、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練を取り止める。

パラシュート降下訓練
 パラシュート降下訓練を伊江島補助飛行場に移転する。

公道における行軍
 公道における行軍は既に取り止められている。
騒音軽減イニシアティヴの実施


嘉手納飛行場及び普天間飛行場における航空機騒音規制措置
 平成8年3月に日米合同委員会により発表された嘉手納飛行場及び晋天間飛行場における航空機騒音規制措置に関する合意は、既に実施されている。

KC−130ハーキュリーズ航空機及びAV−8ハリアー航空機の移駐
 現在普天間飛行場に配備されている12機のKC−130航空機を、適切な施設が提供された後、岩国飛行場に移駐する。岩国飛行場から米国への14機のAV−8航空機の移駐は完了した。

嘉手納飛行場における海軍航空機及びMC−130航空機の運用の移転
 嘉手納飛行場における海軍航空機の運用及び支援施設を、海軍駐機場から主要滑走路の反対側に移転する。これらの措置の実施スケジュールは、普天間飛行場の返還に必要な嘉手納飛行場における追加的な施設の整備の実施スケジュールを踏まえて決定される。嘉手納飛行場におけるMC−130航空機を平成8年12月末までに海軍駐機場から主要滑走路の北西隅に移転する。

嘉手納飛行場における遮音壁
 平成9年度末までを目途に、嘉手納飛行場の北側に新たな遮音壁を建設する。

普天間飛行場における夜間飛行訓練の運用の制限
 米軍の運用上の即応態勢と両立する範囲内で、最大限可能な限り、普天間飛行場における夜間飛行訓練の運用を制限する。

地位協定の運用の改善

事故報告
 平成8年12月2日に発表された米軍航空機事故の調査報告書の提供手続に関する新しい日米合同委員会合意を実施する。
 さらに、良き隣人たらんとの米軍の方針の一環として、米軍の部隊・装備品等及び施設に関係する全ての主要な事故につき、日本政府及び適当な地方公共団体の職員に対して適時の通報が確保されるようあらゆる努力が払われる。

日米合同委員会合意の公表
 日米合同委員会合意を一層公表することを追求する。

米軍の施設及び区域への立入
 平成8年12月2日に日米合同委員会により発表された米軍の施設及び区域への立入に関する新しい手続を実施する。

米軍の公用車両の表示
 米軍の公用車両の表示に関する措置についての合意を実施する。全ての非戦闘用米軍車両には平成9年1月までに、その他の全ての米軍車両には平成9年10月までに、ナンバー・プレートが取り付けられる。

任意自動車保険
 任意自動車保険に関する教育計画が拡充された。さらに、米側は、自己の発意により、平成9年1月から、地位協定の下にある全ての人員を任意自動車保険に加入させることを決定した。

請求に対する支払い
 次の方法により、地位協定第18条6項の下の請求に関する支払い手続を改善するよう共同の努力を行う。 ・ 前払いの請求は、日米両国政府がそれぞれの手続を活用しつつ、速やかに処理し、また、評価する。前払いは、米国の法令によって認められる場合には常に、可能な限り迅速になされる。
・ 米側当局による請求の最終的な裁定がなされる前に、日本側当局が、必要に応じ、請求者に対し無利子の融資を提供するとの新たな制度が、平成9年度末までに導入される。
・ 米国政府による支払いが裁判所の確定判決による額に満たない過去の事例は極めて少ない。しかし、仮に将来そのような事例が生じた場合には、日本政府は、必要に応じてその差額を埋めるため、請求者に対し支払いを行うよう努力する。


検疫手続
 12月2日に日米合同委員会により発表された更改された合意を実施する。

キャンプ・ハンセンにおける不発弾除去
 キャンプ・ハンセンにおいては、米国における米軍の射場に適用されている手続と同等のものである米海兵隊の不発弾除去手続を引き続き実施する。

日米合同委員会において、地位協定の運用を改善するための努力を継続する。


普天間飛行場に関するSACO最終報告(仮訳)
(この文書は、SACO最終報告の不可分の一部をなすものである。)
於 東京
平成8年12月2日

1.はじめに
(a)  平成8年12月2日に開催された日米安全保障協議委員会(SCC)において、池田外務大臣、久間防衛庁長官、ペリー国防長官及びモンデール大使は、平成8年4月15日の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)中間報告及び同年9月19日のSACO現状報告に対するコミットメントを再確認した。

 両政府は、SACO中間報告を踏まえ、普天間飛行場の重要な軍事的機能及び能力を維持しつつ、同飛行場の返還及び同飛行場に所在する部隊・装備等の沖縄県における他の米軍施設及び区域への移転について適切な方策を決定するための作業を行ってきた。SACO現状報告は、普天間に関する特別作業班に対し、3つの具体的代替案、すなわち
 (1)ヘリポートの嘉手納飛行場への集約、
 (2)キャンプ・シュワブにおけるヘリポートの建設、並びに
 (3)海上施設の開発及び建設について検討するよう求めた。

(b) 平成8年12月2日、SCCは、海上施設案を追求するとのSACOの勧告を承認した。海上施設は、他の2案に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである。 

(c)SCCは、日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)の監督の下に置かれ、技術専門家のチームにより支援される日米の作業班(普天間実施委員会(FIG:Futenma Implementation Group)と称する。)を設置する。FIGは、日米合同委員会とともに作業を進め、遅くとも平成9年12月までに実施計画を作成する。この実施計画についてSCCの承認を得た上で、FIGは、日米合同委員会と協力しつつ、設計、建設、試験並びに部隊・装備等の移転について監督する。このプロセスを通じ、FIGはその作業の現状について定期的にSSCに報告する。


2.SCCの決定

(a) 海上施設の建設を追求し、普天間飛行場のヘリコプター運用機能の殆どを吸収する。この施設の長さは約1,500メートルとし、計器飛行への対応能力を備えた滑走路(長さ約1,300メートル)、航空機の運用のための直接支援、並びに司令部、整備、後方支援、厚生機能及び基地業務支援等の間接支援基盤を含む普天間飛行場における飛行活動の大半を支援するものとする。海上施設は、ヘリコプターに係る部隊・装備等の駐留を支援するよう設計され、短距離で離発着できる航空機の運用をも支援する能力を有する。

(b) 岩国飛行場に12機のKC−130航空機を移駐する。これらの航空機及びその任務の支援のための関連基盤を確保すべく、同飛行場に追加施設を建設する。

(c) 現在の普天間飛行場における航空機、整備及び後方支援に係る活動であって、海上施設又は岩国飛行場に移転されないものを支援するための施設については、嘉手納飛行場において追加的に整備を行う。

(d) 危機の際に必要となる可能性のある代替施設の緊急時における使用について研究を行う。この研究は、普天間飛行場から海上施設への機能移転により、現有の運用上の柔軟性が低下することから必要となるものである。

(e) 今後5乃至7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場を返還する。

3.準拠すべき方針

(a) 普天間飛行場の重要な軍事的機能及び能力は今後も維持することとし、人員及び装備の移転、並びに施設の移設が完了するまでの間も、現行水準の即応性を保ちつつ活動を継続する。

(b) 普天間飛行場の運用及び活動は、最大限可能な限り、海上施設に移転する。海上施設の滑走路が短いため同施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性(戦略空輸、後方支援、緊急代替飛行場機能及び緊急時中継機能等)は、他の施設によって十分に支援されなければならない。運用、経費又は生活条件の観点から海上施設に設置することが不可能な施設があれば、現存の米軍施設及び区域内に設置する。

(c) 海上施設は、沖縄本島の東海岸沖に建設するものとし、桟橋又はコーズウェイ(連絡路)により陸地と接続することが考えられる。建設場所の選定においては、運用上の所要、空域又は海上交通路における衝突の回避、漁船の出入、環境との調和、経済への影響、騒音規制、残存性、保安、並びに他の米国の軍事施設又は住宅地区への人員アクセスについての利便性及び受入可能性を考慮する。

(d) 海上施設の設計においては、荒天や海象に対する上部構造物、航空機、装備及び人員の残存性、海上施設及び当該施設に所在するあらゆる装備についての腐食対策・予防措置、安全性、並びに上部構造物の保安を確保するため、十分な対策を盛り込むこととする。支援には、信頼性があり、かつ、安定的な燃料供給、電気、真水その他のユーティリティ及び消耗資材を含めるものとする。さらに、海上施設は、短期間の緊急事態対処活動において十分な独立的活動能力を有するものとする。

(e) 日本政府は、日米安全保障条約及び地位協定に基づき、海上施設その他の移転施設を米軍の使用に供するものとする。また、日米両政府は、海上施設の設計及び取得に係る決定に際し、ライフ・サイクル・コストに係るあらゆる側面について十分な考慮を払うものとする。

(f)  日本政府は、沖縄県民に対し、海上施設の構想、建設場所及び実施日程を含めこの計画の進捗状況について継続的に明らかにしていくものとする。


4.ありうべき海上施設の工法

 日本政府の技術者等からなる「技術支援グループ」(TSG)は、政府部外の大学教授その他の専門家からなる「技術アドバイザリー・グループ」(TAG)の助言を得つつ、本件について検討を行ってきた。この検討の結果、次の3つの工法がいずれも技術的に実現可能とされた。 (a)  杭式桟橋方式(浮体工法):海底に固定した多数の鋼管により上部構造物を支持する方式。

(b)  箱(ポンツーン)方式:鋼製の箱形ユニットからなる上部構造物を防波堤内の静かな海域に設置する方式。

(c)  半潜水(セミサブ)方式:潜没状態にある下部構造物の浮力により上部構造物を波の影響を受けない高さに支持する方式。


5.今後の段取り

(a)  FIGは、SCCに対し海上施設の建設のための候補水域を可能な限り早期に勧告するとともに、遅くとも平成9年12月までに詳細な実施計画を作成する。この計画の作成に当たり、構想の具体化・運用所要の明確化、技術的性能諸元及び工法、現地調査、環境分析、並びに最終的な構想の確定及び建設地の選定という項目についての作業を完了することとする。

(b)  FIGは、施設移設先において、運用上の能力を確保するため、施設の設計、建設、所要施設等の設置、実用試験及び新施設への運用の移転を含む段階及び日程を定めるものとする。

(c)  FIGは、定期的な見直しを行うとともに、重要な節目において海上施設計画の実現可能性について所要の決定を行うものとする。


 日本政府は、全国の米軍基地再編成にたいして、5ないし6年間で、なんと3兆円もの移設費用を負担することを小泉内閣時に閣議決定し、その中身として、このグアム移転経費・約6900億円を、鳩山内閣が誕生する直前に訪日したヒラリー・クリントンとの間で、「協定」してしまったのです。これらの経費負担は、「思いやり予算」とはまったく別物です。


 宜野湾市では、市長を先頭にした基地撤去の粘り強い運動が展開されていますが、普天間飛行場のヘリ部隊のグアム移転については、次のように見解を出しています。「1」では、資料をリンクしておきましたが、「宜野湾市が調査したグアム移転に関する米軍資料によれば、普天間飛行場のヘリ部隊を含め、地上部隊や砲撃部隊など実戦部隊が、全体的にグアム移転することが判明していることから、普天間飛行場代替施設建設の必要性については改めて検証すべきであると政府に求めている」(宜野湾市基地政策部基地渉外課パンフレットから)

 つまり、日本政府が、あえて代替施設として辺野古にV字型滑走路つきの基地を造る必要性はないと言うことなのです。
 この日本政府のおかしな新基地建設論にたいして、日本のメディアは一言もこの問題を指摘しようともしません。さきに指摘したグアム移転経費についても、その「協定化」は、あっという間の早業で、ことの重大性を指摘する新聞記事は、沖縄の報道機関は別にして、本土の商業ジャーナリズムの中では、まったくといっていいほどに見られなかったのです。

 それは、日米安保条約に関する事柄についての、メディアの報道姿勢が、政府提供の情報のみに偏っているからに他なりません。つまり、情報が政府により、ほぼ完全にコントロールされており、メディアを通じてでは、日本国民は、安保体制の諸問題を、まったくといっていいほど知ることができないようになっているのです。つまり、国の平和と安全保障上の諸問題が、日本という国においては、1951年・サンフランシスコ講和条約締結以来、国民には隠され続けてきたのだといっても過言ではない。あの「核密約」問題は、その端的な事例です。

 日本政府は、こと米軍についての情報は、ひた隠しに隠し続けており、また、自衛隊の米軍との関わりについても、秘密主義を貫き通しているのです。つまり、日本政府は、国民に真実を伝えようとはしていないのです。私たちはこの問題を、報道機関内の「安保タブー」という呼び方で指摘し続けてきました。

 本土の「安保タブー」現象は、ある意味でメディアの自殺行為でもあるのですが、日本のメディアは、権力からの自立心に乏しいのです。いまや、日本政府とメディアは、日米安保絶対主義といっていいでしょう。あくまでも、本土の、という条件付きですが。


 寺島実郎氏が雑誌『世界』2010年2月号で「常識に還る意思と構想」と題する一文を寄せています。その冒頭部分を紹介します。

 「 中国の作家魯迅は、二○世紀初頭の中国について、植民地状況に慣れきった中国人の顔が「奴顔」になっていると嘆いた。「奴顔」とは虐げられることに慣れて強いものに媚びて生きようとする人間の表情のことである。自分の置かれた状況を自分の頭で考える気力を失い、運命を自分で決めることをしない虚ろな表情、それが奴顔である。

 普天間問題を巡る二〇〇九年秋からの報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない。

 常識に還るということ、日本人に求められるのは国際社会での常識に還って「独立国に外国の軍隊が長期間にわたり駐留し続けることは不自然なことだ」という認識を取り戻すことである。誰弁や利害のための主張を超えて、この問題に向き合う強い意思を持たぬ国は、自立した国とはいえない。直視すべき事実をもう一度明記しておく。

@戦後六五年目を迎え、冷戦の終焉から二〇年が経過しようとしている日本に、約四万人の米軍兵力(他に軍属、家族が約五万人)と約一〇一〇平方q(東京二三区の一・六倍)の米軍基地が存在していること

A米国が世界に展開している「大規模海外基地」上位五つのうち四つが日本にあること(横須賀、嘉手納、三沢、横田)

B「全土基地方式」が採用され、日米政府代表による日米合同委員会がどこを基地として提供するかを決めることができる(地位協定二条)ため、国会承認なしで全国どこにでも基地が提供でき、東京首都圏に横田、横須賀、座間、厚木など世界に例がないほどの米軍基地が存在すること

C米軍駐留経費の七割を受け入れ国たる日本側が負担するという、世界に例のない状態が続いていること

D在日米軍の地位協定上のステータスは、占領軍の基地時代の「行政協定」を引きずり、日本側の主権が希薄であるのみならず、地位協定にも規定のない日本側コスト負担が拡大してきたこと」、という具合です。

 実に見事に、日本の博識ある人々の堕落しきった姿を言い当てているではありませんか。商業新聞では、サンケイ新聞を筆頭に読売新聞が、堕落した「博識者の群れ」の双璧をなしていると、私は見ているのですが。


 視察終了直後の4月25日に、「10万人大集会」が開かれました。沖縄県は全市町村あげて、沖縄から米軍基地は出て行くように求める決議をあげました。もういかなる妥協もしないぞという決意にあふれています。いままでは、市にお金がおちることをよしとして、基地移転、建設を認めるという対応が多くあらわれました。

 それはある意味で、米軍基地は日米安保条約がある限り、撤去されないものであるとの、「与件」に立っての、ある種のあきらめを前提としてのものでした。

 米軍基地撤去・土地の返還を求めても、日本政府がその防壁となり、県民を懐柔し、あるいはペテンを弄して、基地依存のまちづくりを押しつけて今日まで来てしまった。それならば、とりあえずは、沖縄を戦場にするわけではないのだから、基地関連であがる様々な補助金を取れるだけとって、失業の解消、雇用の増大、基地建設によるもうけ、税収のアップ等々をはかることの方が得策なのではないのか。つまり、目先の利得を追求する方がよいという「現実主義」的な姿勢に立つ県知事が誕生し、また、市町村長が誕生してきたのでした。

 しかし、今回の沖縄は、真っ正面から基地返還を求め、基地は沖縄に入らないと、堂々と宣言し、そのために中央政府と闘争するぞと宣言を発しているのです。私は、大田さんとの二度にわたる懇談の中で、あらためて、このことを深く確信したのでした。1月には名護の市長が、もう基地はいらないと宣言しました。4月には、沖縄市長が再選を果たしました。そして沖縄県知事選挙が、今年11月に迫っています。


 宜野湾市 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2552/2715/1111.html
 下写真に収まる市街地域に人口にして8万9532人、3万6021世帯(平成18年4月末現在)が生活をしています。

 上の写真が米軍普天基地です。つまり市内の真ん中に アフガンやイラクの戦争地域に直結した飛行場がデンと居座り続けているのです。印が国際大学・墜落現場位置です。

 左下が那覇空港方面です。
 那覇空港は、沖縄の空の玄関口。嘉手納ラプコンについては「1」で触れました。この空港は、72年施政権返還後、米軍の後を継いだ自衛隊機が駐留する「軍民共用空港」になっています。

 牧港(まきみなと)補給基地が東シナ海側に続き、この写真になります。
 この基地は、キャンプ・キンザー(約274ヘクタール)。国道58号線沿いにあります。浦添市の14.4%を占有しています。ベトナム戦争時には、戦争に必要なすべての物資が軍需物資として、この基地を経由してベトナムに運び込まれました。つまりは兵站基地(へいたんきち)ということになります。「トイレットペーパーからミサイルまで」などと言われ、有名になりました。13棟の高層マンション、ダンスホール、劇場、学校、通信施設などがあって、これの諸施設が、「思いやり予算」で建設され、管理・維持されています。

 牧港の補給基地も、旧米軍住宅地が細切れに返還され、現在は、「那覇新都心」として生まれ変わりました。この場所は今回視察でも訪れ、東京・銀座を思わせるショッピングゾーンや、日本銀行那覇支店などの公共機関が集中する町にと変貌していました。1998年からの後利用計画にもとづくいわば再開発がはじまったわけですが、すべてが民有地であったところ。土地所有者特定と、土地区画の明確化が、困難を極めて、せっかくの解放地域が、いつまでも広大な野原と化したままになっていました。こうした複雑な条件もあって、返還開始から本格的な跡利用までに、約23年もかかってしまいました。

 日本政府が、本気になって、土地再利用のための、特別の補助制度を設けてのたとえば「区画整理事業」を手法として導入するなどしていれば、新都心再開発は、もっと早くに形を見ていたでしょう。誤解を避けるために付言しておきますが、区画整理事業そのものは、個人の財産を「減歩」と称して取り上げておいて、一つの町を、文字通り区画整理するものですから、評判はすこぶる悪くて、戦後の一時期をのぞいて、反対者が多くてうまくいきませんでした。
 この那覇の跡地もそうした問題にぶつかったわけです。が、しかし、この個人財産を守りうる、「補助制度」などが組み込まれると、有力な、まちづくりの手法となります。
 もちろん、そこに生活をしてきた地権者の権利を守り抜くことが大前提ですが、じつは北区・田端地域における区画整理事業は、そうした意味からは、一歩も二歩も前進したものであったのです。それでも、区画整理後の町並みが、昔の面影をまったくといっていいほどに消し去ってしまっていますから、せっかくの「田端文士村」が泣いているという、新たな問題が発生しています。


 こういう点から見ても、日本政府の基地返還後の対応は、すべてにわたり消極的であり、お粗末なものであったといえます。

 このあたりの話は、私たち地方政治に携わるものにとっては、注目するものでもあるのですが、『観光コースでない沖縄』では、次のように、基地跡地開発による経済効果を紹介しています。

 「返還当時の基地関連収入は、約51億5000万円で軍用地料が主だが、基地従業員の給与、軍人らの消費支出なども含めている。区画整理開始以来の年平均直接経済効果は、約735億円と返還前の14.3倍拡大した。基地従業員は返還時52人だったが、現在の雇用者数は、約3000人に上る。
 『新都心地区』は、基地の跡利用にも沖縄戦の影を引きずっていることを浮き彫りにする一方、返還跡地の経済効果が計り知れないことも示す。基地返還の明の部分が暗の部分をくすませ、北谷町のハンビー飛行場跡地ともに、「沖縄は基地がないとやっていけない」という見方を覆した象徴的な地域といえるだろう。」(137n)

 この指摘は、現在の沖縄を語る上で、たいへんに重要です。
 この経済復興の姿を沖縄の人々は、すでに実感してきたのです。基地がない方が経済振興が進むのだと言うことを実証してきたのです。沖縄はもうだまされないという私の感想は、こうした経済復興を目の当たりにしてのものです。


 普天間航空基地 写真の基地です。鳩山前首相のおかげで超有名になりました。

 この基地の広さは、市域の約24%を占有しての約481ヘクタール。北区にあった自衛隊基地、陸上自衛隊十条駐屯地が、十条地区と赤羽地区をあわせて24ヘクタールでしたから、沖縄の基地群の広さは想像を絶するほどの規模であることがわかります。公認サッカー場のグランドの広さが約1.8ヘクタールほどですから、その何十倍、何百倍もの広大な面積を、一つの基地が占有していることになります。

 沖縄を占領した米軍が真っ先に建設に乗り出したのがこの普天間基地です。米軍は、この地にあった普天間神宮の美しい松並木を根こそぎ伐採して、日本本土攻撃のためにB29重爆撃機用の滑走路を建設しました。その後拡張され、1960年に海兵隊航空基地として整備されました。

2次大戦後に生産されたB29
スーパーフォートレス
ギャラクシー 上の29とは
大きさが2倍以上(長さ)も違う
ホーネット
コブラ

嘉数高地
 基地中央部には、長さ2800メートル、幅46メートルの滑走路があり、F18ホーネット戦闘機、米最大の輸送機C5Aギャラクシーも離着陸できます。駐機場にはCH53大型輸送ヘリ15機、AH1W攻撃ヘリ(コブラ)10機、KC130空中空輸機12機、作戦空輸機C12 2機、T391機、有事の際は300機が使用可能なように大きなスペースが確保されています。

 普天間基地は、海兵隊のヘリ部隊が常駐していますが、米国外で常駐部隊を置いているのは、この普天間基地だけです。米軍としては、嘉手納基地とならんでの最重要基地として位置づけており、それだけに警備も厳重です。


 ここで言っておきます。
 1972年施政権返還前の沖縄は、米政府の核戦略上の要衝としての役割と、いま言ったところの出撃基地としての役割を兼ね備えていたわけです。それが、施政権が本土に「復帰」した時点で、安保条約下の沖縄になったわけです。が、そのことで、沖縄の軍事要衝の役割が、本土並みに変わったのかというという点は、はっきりとさせておかなければなりません。

 結論を言えば、本土の沖縄化が進んでしまった。それが、米政府と佐藤栄作・自民党政府の狙いであったのでしょうが、安保条約は「核・安保」へと「レベルアップ」し、日本全土が、「出撃基地化」してしまいました。沖縄を含めての日本全土が、米軍の要塞となり、かつ出撃基地となったわけですから、再び「アジア諸国の脅威的存在」になった、といえるのです。

 日本政府は、米軍基地を置かせていることが「核抑止」であり、侵略「抑止」なのだと言っています。そうすると、日本政府は、いつかは中国や北朝鮮が、日本に攻めてくるものと言っていることになります。
 しかし、じっさいには、日本の米軍の「核の傘」に入った超軍事大国的存在がアジア諸国に最大の脅威を与え続けているのだということを、自覚しなければなりません。

 じっさいに72年以降、自衛隊は、米軍の指揮下に入りながら、世界各地の紛争や戦争に、「間接的な形」をとりながらも、参加する。共同作戦に与する能力を備えた軍隊へと変貌していくことになったのです。沖縄には、早速、自衛隊基地の整備がはじまりました。自衛隊はあくまでも、米軍の指揮下に入ることで戦争を遂行する能力を発揮する、そういう軍隊へと「成長」させられていったのです。日本の軍事費が、旧ソ連邦を追い越したのは、1990年前後の東欧社会主義の崩壊とそれに続く旧ソ連邦社会主義崩壊後ということになります。

 その激動を見越したかのように、米政府は手を打って、1980年代後半に、日米安保共同宣言を発表し、世界各地における「紛争地域」への「介入」を、共同作戦の中身にしてきたのです。もう「極東の範囲」どころではなくなっているのです。


 そしてこの普天間飛行場があります。写真下部分が沖縄戦最大の激戦地となった嘉数地域があります。写真下は嘉数高台公園の展望台でのスナップ。後方に普天間基地が見えます。
 公園は、戦時の嘉数高地跡に造られたものです。写真上方面から攻め入る米軍と正面から「衝突」し、旧軍もまたこの地で最初で最後の総力戦を展開した地でもあります。

 この嘉数高地から、一つ町をはさんで、浦添市・前田高地があります。この二つの高地の激戦で、旧軍は、その兵力の八割にあたる兵士を戦死させてしまったのです。1945年4月のことでした。

 この地には、前の視察の際にも訪れましたが、頂上には、1964年4月に建立された「京都の塔」があります。沖縄戦で戦没した京都府出身者2536名を祀っています。
 京都府出身の将兵は、第62師団に所属し、その大半が、この嘉数の激戦で命をおとしています。

 私たちが、4月16日嘉数高地視察の直後に、元自民党幹事長を務め、辣腕で名をはせた、野中広務氏が、慰霊に訪れるという話が耳に入りました。
 そういえば、野中氏は、京都府出身で、兵隊にとられた経験の持ち主でした。じつは、私たち北区議会・憲法9条を守る会による「講演会」に、野中広務氏をお呼びしたことがあり(大田氏の前の講演会)、その際に、自民党幹事長時代のイメージを払拭させられる逸話の数々を知ることができました。

 私に言わせれば、野中氏は、政治権力の闇の世界でも第一人者となった人物ですから、その闇、汚れた部分と、自らの生い立ちと体験の中で培ったある種の反戦・平和思想とを併せ持った人物であって、無条件に褒め称えることのできる人物ではないのですが、率直にいって、「興味深い人物」の一人なのです。

 野中氏は、毎年、この地を訪れて「慰霊」をささげているそうです。



 安保条約の本質がずばり解明されている本を紹介いたします。
 安保がわかるブックレット3  『日本の軍事費』巨大なムダと利権 400円
 安保がわかるブックレット4  『思いやり予算と米軍天国』       400円
 安保がわかるブックレット5  『今日の日米同盟』           400円
 安保がわかるブックレット6  『普天間問題と安保50年』       400円
  いずれも発行は安保破棄中央実行委員会

 日本の軍事予算は、アメリカに次いで世界第二位のとこrまで「成長」しています。この5兆円にも上る予算の使い道をたどると見えてくるものがあります。それは、アメリカとの癒着、そして膨大なるムダの固まり、利権です。是非お読みいただきたい一冊です。現在の日本で、軍事費のムダと利権を問題にしている本は、この一冊を置いてほかにはありません。
沖縄レポート4
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