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赤羽スポーツの森公園がオープン
2010年4月24日オープニングセレモニー行われる

―― 子供たちに夢をプレゼントできました ――


  

 待望の赤羽サッカー場(通称)も完成して、赤羽スポーツの森公園がオープンしました。

 この日会場には、公園実現のために尽力した各種団体の代表や町会、自治会のみなさん、そして北区と教育委員会、北区議会議員らが参列してのオープニング・セレモニーがおこなわれました。
 日本共産党は、自衛隊十条駐屯地の全面解放を求めて大運動を展開しました。
 公園オープンを祝して「記念撮影」です。
 写真は全面解放運動時のデモンストレーション。故人となった飯田幸平都議(当時)や、そねはじめ区議(当時)、
 十条駐屯地十条地区は、中央公園を拡大する形で自衛隊官舎跡地などを解放し、公園とともに、北区立中央図書館を建設しました。写真後方の赤煉瓦建物を一部のこす格好にしました。
 十条駐屯地を囲む、「人間の鎖」行動も行われました。その際のデモンストレーション。

 北区議会の中では、現在の自然観察公園の開放のみで、十条基地の居座りを恒常化させてよしとする「一部解放論」が自民党や公明党から出され、議会は「分裂」しましたが、住民運動はいよいよ活発に展開されていきました。
 「一部解放論」では、自然観察公園を完成させて終わっていたことになります。
 じっさいに、自衛隊側は、現在はナショナルトレセンの陸上競技練習場やスポーツの森公園用地を、新たに自衛隊官舎にする構想までもっていました。

 北区議会では、それも「住宅建設」だとして、容認しようとする議員もいました。

 しかし住民運動は、全面解放を求めての「5万人署名運動」を展開するなど、大闘争を展開し、解放運動が盛り上がる中で、防衛庁と防衛施設庁は、地元自治体である北区に同地を移譲する案を出してきました。移譲とは、「買ってくれ」ということです。

 ここにきて北区議会では、再び、自衛隊跡地利用計画づくりの気運が盛り上がり始めました。その後押しになった「力」は、北区から基地をなくす会に結集した各運動体のみなさんの運動でした。

、利用計画の議論では、現在ナショナルトレセンとなった用地には、住宅を建設しようという案も出されました。青年が利用できる住宅をという要望もこのときに出されました。

 しかし、買収費用が多額になることを懸念した北区当局は、文科省(当時は文部相)が持ち出した「ナショナル・トレセン構想」に飛びつき、その誘致を画策しました。
 その結果、西が丘競技場全体のうち、すでに完成していたスポーツ科学センターと併設する形でのナショナル・トレセンが建設されることになったのでした。

 このときに、少年サッカーに関わる父母、保護者のみなさんが中心となっての、「サッカー場建設推進」の署名運動が起きました。最初は現在の自然観察公園の場所にサッカー場をつくってほしいという趣旨のものでしたが、北区議会側では、「場所を特定しないこと」を条件に、この署名を採択しました。

 ついで、3万5千人あまりの署名を添えて、自衛隊跡地へのサッカー場建設を求める請願署名が出されました。これは、全会派が一致して採択となりました。

 議会では、自衛隊基地解放にめどを付けつつ、同跡地利用計画づくりが始まり、スポーツ公園とすることを主旨にした計画がこれも全会一致で策定されました。

 ワークショップなどでは、自然観察公園の拡大策も出ましたが、あくまでも「スポーツ公園」としての整備をするという当初の構想が、生かされることとなり、現行の計画づくりへと進展することとなりました。

 国有地の買収では、公園や、社会教育施設等の建設を目的とする場合、実勢価格の二分の一、あるいは三分の一で自治体による買収ができるようになっています。北区は、その制度を最大限に活用して、普通財産となっていた同地の買収を行いました。

 そうした経緯を通じて、スポーツ公園内に、公認の本格的なサッカー場が建設されることになったのです。
 その「サッカー場」は、最新技術を施した人工芝グランドとなりました。不燃性、透水性を兼ね備えた人工芝ですから、防災避難広場としての機能を保障もしています。
 ゲートボール等にも利用できる、多機能性もあります。

 このサッカー場建設が決まったのは、2006年12月第四定北区議会で開かれた建設と文教両委員会のこと。
 旧自衛隊赤羽基地跡地へのスポーツ施設建設について「イメージプラン」を審議し、図の場所に正規の試合のできる北区サッカー場(北区・第一号)を造ることを決めました。

 八百川孝建設副委員長(当時)は、正規の試合ができるサッカー場が北区にはまだ無いこと、少年サッカーを始め生涯スポーツとしてのサッカー愛好者が急激に増えていること、各種の大会が頻繁に行われているなどの状況を見れば、この地にサッカー場を造ることは時宜にかなったものといえる。造るからには中途半端なスポーツ施設にしてはならない、と発言しました。

 また、文教委員会では、日本共産党北区議員団の本田正則委員が、国体利用の要請があることなどを指摘しながら、ナイター、観客席、クラブハウスなどの付帯設備を十分なものにと主張しました。
 

 会場設営
 少年サッカー委員会の方々
 北区サッカー協会のみなさんの「受付」 スリーショット
 山崎たい子区議

 この日は少年少女のみなさんがおおいに活躍。
 このこどもたちに、私たち大人が、「夢」をプレゼントできたのだな、とおもいました。
 新しい公園側から見た「平和公園」 右手に長崎の原爆被爆二世の「柿の木」があります。
 北区平和都市宣言の碑板もあります。この宣言を北区非核平和都市宣言にと、運動中です。
さがらとしこ区議
中川大一区議
そねはじめ前都議
児童遊園施設も整備されました。
赤羽自然観察公園と
赤羽スポーツの森公園が完成し、これで自衛隊基地のうち赤羽地区は、文字通り全面解放されたことになります。