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北区初 公認サッカー場建設
進む工事 来5月には竣工・オープン

09.9月議会工事契約案件

―― 八百川孝区議の提案(北区に五カ所のサッカー場を)実る ――
2009.9.23

  

運動実る
 たくさんの署名が集められ、自衛隊跡地が確保できたならば、必ず、公認・サッカー場の建設をと考えてきたみなさんの、「夢」が実現することになりました。

 河川敷の現在のサッカー場は、サッカー愛好者たちが、砂地の石を拾って、平らにして、ボールを蹴り合い、ここに北区のサッカー場をつくってほしいと、運動をしたことがきっかけで、できあがったものです。1976年の話です。

 北運動場が、変則的にサッカー利用ができるようになり、ここにきてようやく、北区内のリーグ戦や、サッカー大会が開かれるようになりました。

  しかし、北運動場はもともと、陸上競技の練習場で、サッカーをやるには不向きなところでした。河川敷のサッカー場も、正規の広さは、確保されていません。ともに、社会人のサッカー利用には適確なものではありませんでした。

 こうした環境の不備はあっても、北区のサッカー愛好者の情熱は萎えることなく、少年サッカーの普及、一般・社会人サッカーの普及はめざましいものがありました。
 また、学校体育館を利用した、フットサルも活発化し、サッカー人口は、急速に拡大しました。

 生涯スポーツの考え方の広まりとともに、年齢枠別のリーグ戦も始まるようになりました。
 また、ユースのサッカー大会も開かれるようになりました。

 こうなると、サッカー場の不足は、あきらかで、旧自衛隊基地跡を入手しての「サッカー場の建設」は、すべてのサッカー愛好者たち、また、少年サッカーに参加する親たちの願いになったのでした。

 長い時間が費やされましたが、とうとう、正規の広さを確保した、公認グランドの整備が決まりました。


人工芝の進歩 
 アス・コンの上に緑色のペンキを塗ったのと変わらないという「人工芝」が、登場したのは、35年前頃のこと。あの後楽園のドーム球場の外野部分の人工芝は、当初は、堅くて足の突き上げ感が激しく、スライディングするとかならずユニフォームが破けて、擦過傷を負う。そうした劣悪なものでした。しかも、「塩ビ」製品ですから、燃えやすい。燃えれば「毒ガス」を発生してしまう、という代物でした。
 摩擦熱軽減のために、散水が欠かせない、という問題も抱えていました。

 この4、5年来、人工芝は急速に進歩しました。
 まず、クッション性にすぐれたものが開発されました。ロングパイル方式と呼ばれています。
 不燃性です。ですから、災害避難場所などでも使えるわけです。散水の必要はありません。
 透水性ですから、雨水が地面にしみこむしくみになっています。

 今回、下図・旧赤羽自衛隊基地あとにつくられる「北区サッカー場」は、一番進歩した人工芝を使うようになっています。その人工芝敷設の工事契約案件が、09年9月定例議会に、つまりいま、かかっているわけです。

 ナイター照明は500ルクス仕様のものにします。都内のグランドに使用されているナイターは、ほとんど、300ルクス仕様のものですから、ずいぶんと明るいものになるはずです。


 このサッカー場建設が決まったのは、2006年12月第四定北区議会で開かれた建設と文教両委員会のこと。
 旧自衛隊赤羽基地跡地へのスポーツ施設建設について「イメージプラン」を審議し、図の場所に正規の試合のできる北区サッカー場(北区・第一号)を造ることを決めました。

 八百川孝建設副委員長(当時)は、正規の試合ができるサッカー場が北区にはまだ無いこと、少年サッカーを始め生涯スポーツとしてのサッカー愛好者が急激に増えていること、各種の大会が頻繁に行われているなどの状況を見れば、この地にサッカー場を造ることは時宜にかなったものといえる。造るからには中途半端なスポーツ施設にしてはならない、と発言しました。

 また、文教委員会では、日本共産党北区議員団の本田正則委員が、国体利用の要請があることなどを指摘しながら、ナイター、観客席、クラブハウスなどの付帯設備を十分なものにと主張しました。