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北区国民保護計画にたいする意見書
地方自治体が「戦争動員」の「道具」となってはならない

―― 日本共産党北区議員団が10月13日に提出 ――
2005.10.15

  

1.日本国憲法に照らして

 北区が作成する北区国民保護計画については、政府並びに東京都の保護計画指針や東京都保護計画にとらわれずに、日本国憲法の指し示す平和理念並びに平和条項を守り抜くもので、北区基本構想並びに北区平和都市宣言に照らしてふさわしい「保護計画」とすることが重要です。

 北区の「保護計画」には、国民保護法を含む諸有事立法との関連から予想される、アメリカ政府並びに在日米軍基地からの支援要請等について、明確にこれを拒否する姿勢に立つものでなければなりません。
 石原都知事のように、防災訓練にかこつけて、米軍を参加させることを当然視するがごときは言語道断です。区内外に渡り、そうした動向に対しては、これを厳しく批判し、かつ反対する姿勢を「計画」にも明記し、うちだすべきです。

 また、自衛隊についても、自治体の「保護計画」に便乗して、各種の「協力要請」が、直接あるいは間接に地方自治体に、行われることが想定されますが、これも、有事法制下では「戦時下」における自衛隊の行動(戦闘行為等)に対する支援並びに協力となってしまう問題であり、このような戦争遂行政策に地方自治体を巻き込むかことになるいっさいの「協力要請」に対しては、これを拒否することが地方自治の本旨に則る道であることを明記しなければなりません。

 日本国憲法は、その前文で「日本国民は、……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」として、政府の行為による戦争政策のいっさいを、主権者・国民が否定もしくは拒否する権利を有していることを示しています。

 住民の生命と財産等の護持を主要な責務とする地方自治体は、この憲法の精神に立脚し、国・政府の準備を含めた戦争政策の進行を阻止しなければなりません。それはとりもなおさず、第一次北区基本構想に明記され、第二次構想にもその精神が継承されたところであり、かつ、北区平和都市宣言に明記された、「人類共通の悲願である核兵器の廃絶と、平和で自由な共同社会の実現にむけ努力している」との宣言の主旨を実現化させることにつながるものと信じます。


2.国民保護法の狙いを明確にすること

 「国民保護法」は、「武力攻撃事態」の発生、つまりなんらかの他国による戦闘行為が、日本の国内外で活動する自衛隊と、その関連する諸機関に対して行われた場合をまず想定しました。
 しかし、じっさいに国民のなかには、日本国内が戦争状態に陥るという危機感はさほどあるわけではなく、また、外国において、その国から自衛隊に対して戦闘が仕掛けられるという想定は、日本国憲法上、また、集団的自衛権の発動を禁止しているわが国において建前としてあり得ないことですから、それだけを理由として、「保護法」制定の根拠付けには乏しかったという事情がありました。

 そこで、一部野党からの「提案」もあり「テロの発生、都市ゲリラの発生」を「事態発生」の内容の一つとして付け加え、「事態」の概念をより一般化した上で、「オウム事件」や「9.11テロ」などによって生まれていた国民の危機感にいわば便乗することで、「保護法」を制定するという方策にでました。
 しかし、地方自治体側においては、この「法制定」の二面性に惑わされてはなりません。つまり、「国民保護法」とは、あくまでも、有事=戦争状態の際の、国の戦争諸政策遂行に、地方自治体を動員するためのものであり、ここに「法」の本質があるということを見逃してはなりません。

 そこで、自治体側の対応として、主に二つのことが求められます。

 第一は、「1.」で指摘したとおり、政府によるいかなる戦争、もしくは戦争に至る関連行為に対しても、これに反対し、その協力要請には、きっぱりと拒否することです。現行日本国憲法に基づけば、そのことにより、自治体側が、なんらかの責任等を問われる所以はありません。
 日本国憲法は、第9条において、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」としています。

 「保護計画」づくりでは最後まで難航していた、沖縄県、東京都を含めて、2006年3月31日までに、すべての都道府県で、「計画」の閣議決定が行われていますが、いくつかの府県で、「戦争で攻撃を受けた場合の保護計画の前に、戦争を外交努力で回避することが、大切である」と、その保護計画策定に際して意見が付されました。これは、日本国憲法9条に照らして当然の意見であるといえます。

 こうした自治体側の姿勢を、様々な形で示し続けることは、きわめて大事なことで、北区がこれから策定する「保護計画」には、このような北区としての意見やその姿勢が明記されるものでなければなりません。

 第二は、テロや「都市ゲリラ」への対応、対策の問題です。

 いくつかのテロ事件が、わが国でも起きています。さきの「オウム事件」などは、未だ記憶に新しいところです。いわゆる右翼、あるいは「左翼・極左」暴力集団による暴力、テロも頻繁に起きています。したがって、こうした、暴力、テロ事件等の発生の防止や、また、その対応、対策については日常より、十分に立てておかなければならないものです。

 しかし、今回の「保護法」のように、本来警察や消防等により対応すべき事柄を、軍事=自衛隊と「任務」を混同させて、警察の役割を自衛隊にも負わせしかも転嫁させてしまうことは、絶対に、認めてならない問題です。いわゆる「治安」そのものを、自衛隊が警察に代わり行うようになることは、軍国主義国家への道を選択するものであって、それこそ、日本を「大日本帝国憲法」下の時代に逆戻りさせることに他なりません。

 阪神・淡路大震災のおりに、都道府県の要請により自衛隊が、諸般の都市災害に対応できることになりました。その機動性が評価された結果でもあります。したがって、自治体が主導する、防災訓練等に、自衛隊が、直接にあるいは間接的に参加することはあり得ることになりました。

 しかし、そうしたときであっても、自衛隊の側が、防災訓練の域をのりこえて、市街地域内の「軍事訓練」を想定し、「訓練」に参加すれば、それは立派な自衛隊のための有事・市街地内行動の諸訓練となります。つまり、そうした「軍事訓練」の場を、地方自治体側が提供してしまったことにもなります。そのようなことは絶対に避けなければなりません。そうした意味からも、「北区防災会議」への自衛隊の参加も含めて、慎重な対応が絶えず求められるものです。

 今年7月3日夜間から未明にかけて行われた、陸上自衛隊練馬駐屯地第一連隊など300名による〃防災訓練〃に名を借りた行進訓練は、集合場所に北区・岩淵の青水門周辺を使用したことからも、北区と無縁の問題ではありませんでした。

 この日は、午後5時30分に練馬駐屯地を出発したトッラクや「ジープ」に乗った自衛隊員が、午後6時過ぎころから続々と集まり、集団で約30キロメートル以上の長距離をデモンストレーションしたのでした。

 このような基地外・市街地に出ての自衛隊による訓練は、これまでは、「憲法違反」、あるいは市街における軍事訓練と指摘を受け非難されてきたことから、ほとんど行なわれてこなかったものです。

 しかし、「国民保護法」が通り、都道府県段階の「保護計画」策定が進んだ結果、こうした自衛隊の直接、間接の「合同訓練」等が、全国的に頻繁に起きるようになりました。

 東京都の「保護計画」は、テロの発生、大都市における「ゲリラ的行動」の発生への対応を、いわば前面に掲げて、それを「有事=事態の発生」とみなし、戦争の勃発と同一視ながら、大々的な各種訓練に都民を動員する、そうした「保護計画」となっています。
 この東京都の「保護計画」に、追従した北区の「保護計画」にしてはなりません。


3.策定事務に関わる問題

 「国民保護法」の規定により、地方自治体が行うとされる仕事のほとんどが、法定受託事務とされたために、 地方自治体は、国民保護計画づくりのための協議会の設置と、保護法が発動された際の対策本部の設置に関する条例化を進めることになりました。

 日本共産党北区議員団は、東京都北区国民保護協議会条例と東京都北区国民保護対策本部及び緊急対処事態対策本部条例の可決に反対してきたところです。
 また、関連する条例改正にも反対をしてきました。

 政府は、「作業促進のため」として2005年3月に都道府県を対象に、また、12月には市町村宛に、「国民保護モデル計画」を発表してきました。これらは、政府の思惑通りの「保護計画」づくりを促す役割を当然に持ち、各地方自治体も実際にそれに従わざるを得なくなっています。

 また、「保護計画」策定は、条例で定められた委員数の枠内で、なお、首長が任命した委員のみで構成された「協議会」で、審議が進められる仕組みとなっています。さらに、作られた「保護計画」は、「素案」の段階から都道府県は、「国の」チェックを受け、最終的には閣議決定を受けなければならないように義務づけられています。閣議決定を受けなかった「保護計画」は何ら有効なものではないことになります。

 市町村は、国の法律に適合しているかどうかどうかを含めて、都道府県の判断を仰ぎ、その承認を得なければなりません。

 しかも、策定に当り地方議会の承認事項とはなっていないため、地方議員の審議権が、事実上剥奪されています。また、協議会への地方議員の参加も、首長が決める範囲のもので、著しく制限されたものとなっています。地方議員の権利侵害に対して、議会の参与を認めるよう付帯決議を付した議会も出ています。

 これでは、「保護計画」の策定にあたり、地方自治体の自主性は、ほとんど認められておらず、最初から上位下達で、保護計画による、自治体と関係諸団体、そして住民の「総動員体制」がつくられることになるのです。
 このような権力的な有事体制づくりに、無批判であってはなりません。現行法制のもとでも、地方自治体の自主、自立の姿勢を守り、貫くことはできるはずです。

 北区は、この自主性の尊重を主張するのではなく、逆に東京都国民保護計画や、「保護モデル計画」の押しつけに、唯々諾々と従ってあたりまえという姿勢です。これは、自治体としては「自殺行為」に等しい、そういう問題です。

 ただし、北区の場合は、形式的に過ぎた感がありますが、一応は「パブリック・コメント」方式による、住民からの意見聴取を行いました。また、「協議会」も傍聴は可能となっています。しかし、このせっかくの「パブリック・コメント」も、住民間に、国民保護法の本質を知らしめる十分なる周知がなされていないこともあって、寄せられた意見等は、数少ないものに終わっています。

 それでも、その意見のほとんどは、「保護計画づくり」に反対するものとなっており、これは重視しなければなりません。
 住民は「保護計画」を否定しているのであり、その必要を認めてはいないのです。
 このことは、重大な課題を北区に投げかけていることになります。住民からの直接の意見を、北区は軽視してはなりません。こうしたいわば「下からの」意見等をくみあげて、政府の思惑を突き崩すことも、地方自治体の役割であることを自覚すべきです。こうした「反対意見」は、「保護計画」づくりにとってきわめて重要です。北区の保護計画に反映させるべきです。


4.地方自治体(大戦時は「お役所」)が、戦争のための思想動員を行ってはならない

 「国民保護計画」づくりを通じて、また、「保護計画」に基づく「研修及び訓練等(北区保護計画・素案28n)」を通じて、地方自治体が、「平時の有事化」を進行させてはなりません。

 また、日常からの防災訓練や水防訓練等と、「保護計画」に基づく訓練等を混同させて、町会・自治会や自主防災組織、あるいは消防団等の民間組織を、たとえ救助・避難を名目としていても、「保護計画」に基づき行うことは「戦争遂行」の役割の一端を担うことになります。地方自治体が行う事柄ではありません。

 平成18年3月、北区は「戦後60年 写真で語り継ぐ平和の願い」を発行しました。その12ページをめくると「隣組の総力戦」があります。そこには、防空訓練の手順がかかれた「隣組防空群訓練実施要領」が見られ、防空・防火訓練をする女性たちの写真が掲載されています。その説明として次のようなくだりがあります。「戦時下に結成された隣組は、配給、広報類の回覧、国債の購入や貯蓄の奨励などに関わった。さらに、警防団の指導のもと、隣組防空群が組織され、防空訓練が繰り返された。東京に住む者にとって、戦争とは空襲との戦いであり、地域ぐるみの『総力戦』だった。」と書かれています。

 「町内会と隣組」については、「戦前からあった町内会は、戦時下に『丁目』ごとに再編成された。昭和十五年(1940)には大政翼賛会の下部組織となり、隣組も発足した。」と、町内会が、「翼賛会」の下部組織となり、地域網の目から戦争総動員態勢に組み込まれていったことが語られています。そして、「さらに、昭和十八年(1943)、町内会は地方行政機関の一部に組み込まれた。隣組は、数軒から十数軒ずつで構成され、町内会の下部組織として配給などに関わった。」と説明しています。

 13nの「消防組・防護団から警防団へ」も重要な指摘がなされています。
 「北区内において、消防のための民間組織である消防組は、明治時代から各町内や大字を単位に結成されていた。一方、防護団は、「満州事変」後の昭和八年(1932)に警察署の主導で結成され、防空演習の中心になった。しかし、消防組との間で人員や役割の重複があったため、昭和十四年(1939)公布の警防団令により、消防組と防護団は合併し警防団になった。」とあります。

 いま、平成17年(2005)11月には石原都知事の下で、特別区の消防団運営委員会に対し、「国民保護計画」づくりに歩調を合わせて、「武力攻撃事態等において地域に密着した消防団が行う活動はいかにあるべきか」が諮問され、答申が準備されています。
 町会関連では自主防災組織が、また、消防関連ではこの消防団が、戦時下における民間の団体動員の対象とされていったのと同様の立場におかれてきたのです。

 この北区の「平和の願い」には、あえて語られていない部分があります。

 それは、町内会・隣組が、当時の義務教育機関と連携して、子どもたちに対して、「戦争の道具」となって命を天皇に捧げることこそ「国家のため」、それは自分の愛すべき家族のため、あるいは恋人のためなのだとする思想動員を行ってきたことです。これが、「愛国心」の意味でした。すなわち子どもたちを、「軍国少年・少女」として洗脳する役割をも果たしてきたという事実です。

 また、町内会・隣組が、戦時下における、「スパイ組織」の末端を担わされてきたことも、忘れてはならないことです。隣組の住民の中で芽生える「反戦思想」、あるいは「非戦思想」、父親や息子、兄弟を戦争に行かせたくないと思う人々が生まれることは、隣組の連帯責任が問われる問題であることから、そうした人間が隣組から生まれないよう監視しあう、そういう組織でもあったのです。つまりは、思想弾圧機関の末端組織の役割をも負わされていたのです。

 あの「9.11テロ」の犠牲者家族が、「私たちの家族の死を、イラク戦争の理由にしないでほしい」という運動を起こしたときに、その運動家の人々に対して投げかけられた言葉が、「非国民め!」でした。運動家の家族には、町中の人々からの弾圧的言辞が浴びせられました。子供らは学校で「非国民の子」と差別され、退学、あるいは転校を余儀なくされました。このときも、国家の戦争政策に賛意を示さない者を呼ぶときの言葉が、この「非国民」という言葉であったことは注目されます。

 戦時下の日本では、愛国心を持たぬものと思われる人間に対してすべて「非国民」という言葉が投げかけられたのです。

 たとえば、家族、親戚から「精神障害者」が生まれれば、その家は、「非国民の家」と呼ばれ、心身障害者がいれば、戦争には役に立たないという意味から「役立たず」とよばれ、「穀潰し」と呼ばれたのです。そうした、言辞を浴びせたのは、じつは国家そのものであったのですが、直接その言葉を発した人々は、町内会・隣組の人々であったのです。

 そこまで、人間を追い詰めておいて、日本は、あの無謀で、野蛮な戦争を起こしたのです。
 このように町内会・隣組を組織する中心的役割を果たしのが、いわゆる「お役所」でした。現在の地方自治体の、ある意味での前身です。

 日本が、その帝国主義国家として、中国全土への全面戦争を開始した年が、廬溝橋事件のときの昭和11年(1937)。この年の12月には、いわゆる南京虐殺事件を起こしています。この年の8月に、政府が、国民精神総動員要綱を決定しています。そして、翌昭和13年(1938)4月に、国家総動員法が制定されたのです。

 有事法制の中の「国民保護法」をさして、「国家総動員法」の復活と指摘する識者はたくさんいます。そして、昭和15年(1940)に、天皇制絶対主義(ファシズム)体制として、10月に大政翼賛会が発足し、さらに、町内会・隣組の組織へと事を運んだのでした。

 大戦後、日本国憲法は、国家の下請的、命令追従機関ではない、「地方自治」を体現する地方自治体を置き、民主主義的国家への再生をめざしました。

 また、この時期に、「町内会、隣組」が解散させられ、しばらくの間、町内会の活動が停止させられていたという事実も、忘れてならないことと思います。


 有事法制をさして、小泉首相(当時)は、備えのためと称しました。これは、たぶんに「備えておくだけ」という意味合いで使っていましたが、ほんとうの狙いが「銃後の備え」にあったことは論を待たないところです。

 じっさいに有事法制は、戦争準備のための法体系でした。その中の「国民保護法」は、まさに、戦争の後方支援体制にあたる、国民の協力を取り付け、かつ、「総動員」するための法律であったことは疑いありません。

 そして、「保護法」最大の目的が、「平時の有事化」にあり、そのために、自治体と住民を思想動員する、ここにあります。平時の、諸訓練時を利用して、住民一人ひとりに「戦争」を日常から意識させる、そして、日本が戦争をする国になること、できる国になることに無批判であり、さらに賛同する、そういう「地方公務員」づくり、「住民」づくりに目的をおいていることを軽視してはなりません。                                                                                以 上