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| 夢・共産主義−1 最終章 精算 第一節 精算の意義 |
社会変革をもとめるすべてのひとびとが連帯し、政治を変え、社会を変え続けること。そのために力を集め、運動の主導を担うことができる政党がいま必要とされている。 日本共産党が、名実ともにこうした魅力を備えた民主主義政党として脱皮することをひとびとは求めているのではないのか。 「マルクス・レーニン主義」、あるいは「レーニン主義」を清算することが出来るかどうかにこの政党の未来がかかっている。 |
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最終章bO01
拙論「夢・共産主義第一部」の最終章として「清算」を著しました。 「第二部」では、あらためてマルクスとエンゲルス、あるいは、必要なレーニンの諸文献にさかのぼって、共産主義の思想、あるいは理論とは、なんであったのかをおさえなおし、そのうえで、私たちに、いま求められている社会変革の思想と、理論とは何かを、探求したいと考えます。 いま求められている社会変革の思想、理論とは、もちろんレーニン主義ではないし、また、だからといってマルクス主義に立ち返り、そこからなにがしかの理論なり、命題を導き出すといったことではないと考えます。個々の原理論は、いわば古典として読むべきものであり、その思想を学ぶことはあっても、そのなにがしかを現代にあてはめ、私たちの行動上の指針とするかのような行為は、厳に戒めるべきかと考えます。 マルクスやエンゲルスとは、偉大な思想家であったと思います。その思想を学ぶことの意義は、いまも薄れてはいないと思います。共産主義、あるいは社会主義の思想を把握しようと思ったときに、この二人の科学者の思想を抜きにしては、学ぶことはできないでしょう。 しかし、「マルクス・レーニン主義」は間違っていた、どうやら「レーン主義」にも問題があったらしい、それではやっぱりマルクスなのかといった接近の仕方で、マルクスやエンゲルスに「またそこから社会変革の理論を得られるのでは」といった期待をすると、それは裏切られることになります。大きな誤りを生むかと思います。 しかし私は、いまようやく、あのマルクスが構想した、「資本主義の世界的規模における発展」を、皆が実感する時代にはいったのではと考えています。ただし、この世界は、マルクスが構想していたものとは明らかにそのスケールにおいて、また、時間において、したがって、その変革の過程において、違うものであるとはっきり言えます。時代は変わり、社会進歩は飛躍的に前進しており、したがって、その社会変革論もまた進歩、発展しなければいけないのです。 世界市場として、資本主義諸国、あるいは旧ソ連邦にあたるロシアなどが巨大な人口を抱える中国やインドに注目し、いままでは既成概念となっていた「体制の違い」などを乗り越えて、資本の輸出入をはじめとする「経済交流」を繰り広げています。 社会主義社会を自称する中国が、「二つの体制の共存」を宣言し、「絶対に資本主義化は無理である」とまでいわれてきたインドまでもが資本主義社会の仲間入りをしています。 ヨーロッパ諸国では、貨幣の統一をはじめとする経済交流を通じての「同一化」、すなわち「ユーロ」が出現しました。 体制を乗り越えて、国を乗り越えて、民族や宗教の違いをも「気にせずに」、資本制社会は、広がり続けています。 なるほど、こうした現象は、マルクスが構想した資本主義そのものではありました。しかし、その資本主義の中身は、マルクスが言及したものとは大きな違いを見せています。 この違いを明確に把握することが、いま私たちに求められている最重要課題なのだと思います。 マルクスの偉大な思想をよりどころとすることはあっても、私たちは、目の前に広がる「世界資本主義」を相手として、その社会の批判的発展論を創造しなければならないのです。いま、そうした意味から、来るべき社会(ポスト資本主義社会)の態様を語らなければならないと考えます。 そして、その作業に正面から取り組んだときに、そこかしこで、私たちは多分、マルクスの思想の偉大さにふれることになるのかと思います。ある意味で、先達である、マルクスとエンゲルスが思い描いた「夢」を、理論として具現化することになるかと思うのです。 ⇔
最終章である「精算」の意味は、スターリン主義(「マルクス・レーニン主義」)を、綱領と規約上の「命題」として採用してきた日本共産党として、これまでの「ソフトランディング」的な修正、たとえば1976年の13回臨時党大会における用語の修正的なものではなく、遅きに失した感はありますが、きっぱりと国民からみて分かりやすく、その理論的清算をすべきであるとの私の考えを述べることを意味します。それは、本来、「党」として行うべき行為であるはずです。 当然に、共産党の現行綱領や、あるいは規約についても、「精算」後にふさわしく自分たちの言葉によって、自らの実践から学びつつ、創造しなければならないでしょう。最近の「綱領改定」」版も、私から見れば、未だ過去の理論を「遺産」として引きずったものに見えます。とくに、「90年来の定義を覆した」とされる第五章も、「未来社会論」として、それは研究課題であり、現在社会総体の変革論として綱領上に載せる必要はないものと思えます。 この作業は、日本共産党が、「マルクス・レーニン主義」を、科学的社会主義と言葉として置き換えて以降、この社会主義、共産主義の思想と理論の解釈のいっさいを、不破哲三氏にまかせきっているようでもあるので、自ずと、不破哲三氏の緒論文等の内容に立ちいっての批判的検討を加える形となるかもしれません。 が、しかし、私は日本共産党として、「正式」に、「マルクス・レーニン主義」、あるいはレーニン主義を、国民のまえに分かりやすく説明しながら、精算し、このテーマに関して心機一転、出発すべきであろうと思います。 それは、60年前後の時期から70年代初頭の時期に入党し、困難な状況にも負けないで、これまで一貫してがんばってきた活動家の方たちに対する、共産党の側からのある種の説明責任を果たすことであるかと思います。 また、大戦後の共産党の隆盛期と、「50年問題」に見る路線上の大失敗とを、同時に経験しながらも、今日の日本共産党の、組織的基盤を作り上げるために、文字通り、その生涯にわたり一身を賭して苦闘し続けてきた方々への、説明責任でもあるかと思います。 ⇔
13回臨時党大会は、61年綱領制定以降最大の「綱領改正」(実質的な)を行った大会であると私は受けとめています。その「変更」とは、第11回党大会ころから行われてきたことではありましたが、決定的変更は、やはりこの13臨時大会からだと思います。 現行のものは加筆されていますが、「自由と民主主義の宣言」が採択されました。前12回党大会時に、プロレタリアート独裁をプロレタリアート執権に改め、なお綱領上からは削除しました。社会主義革命によって生じる権力の性格を「労働者階級の権力」としました。 「マルクス・レーニン主義」を用語として科学的社会主義に改めました。前後の時期に、邦訳上の問題として「暴力」を「強力」に、「独裁」を「執権」にと用語を改めようと、問題提起もしました。人民的議会主義という考え方も確立しました。 しかし、こうした、是正措置は、「マルクス・レーニン主義」、あるいはレーニン主義の本質に、ベールをかぶせてしまう役割をも果たし、その解明の課題を、遠くに追いやる役割を果たしてしまったといえます。 ⇔
また、日本共産党が、一度は、共産主義社会にもっとも接近した国として評価し、また美化もした、旧ソ連邦をはじめとする、社会主義諸国とその体制は、1990年初頭に向けて、一路、瓦解、崩壊にむかいました。 日本共産党は、その崩壊を目の当たりにして、「ばんざい」を叫んだものの、その社会主義体制とはなんであったのかを、すぐに説明することはできませんでした。 旧ソ連邦社会主義崩壊後の第20回、21回党大会で、科学的社会主義理論は学ぶとしながらも、規約の前文における位置から、そっくり削除しました。また、そのさいに、「コミンテルン加入条件(1922年)」以来の「前衛党論」も無くしました。ここでコミンテルンの日本支部として出発して以来残っているのは、党名である共産党と、「民主主義的中央集権制を組織原則とする」との項目だけということになりました。 しかし、旧社会主義体制の崩壊を見るまでの数十年間、日本共産党は、その体制の評価を、生成期社会主義論のように、二転三転させてはきたものの、「歴史の必然として崩壊せざるをえない体制である」とは、とうてい認識することができませんでした。 それは、歴史の発展法則に則って、必ず復元できる社会体制であるという認識に立ってきたからだということを意味していました。 また、世界の政治勢力を二分した、その一方の社会主義体制を、マルクス主義を思想的基盤とした社会体制であるとし、それは同様にマルクスの共産主義社会へと発展する途上にある社会なのだとの認識をしてきたということです。 そして、そのことが、国民からは、日本共産党はあいかわらず、ソ連共産党や中国共産党、あるいは北朝鮮の朝鮮労働党と、同根にある政党と見られ続けてきた原因でもあったわけです。 私は、日本共産党が、「マルクス・レーニン主義」、またレーニン主義に対して、その影響を完全に払拭することができていなかったことが、また、70年代から80年代にかけて、その影響を取り除く積極的努力を怠ってきたことが、今日の党のポジションを危うくしているもっとも大きな原因であると思います。 ⇔
国民からいつまでも、日本共産党とは、普通の政党ではない、異質な、やはり社会主義体制の下で、その社会主義体制に、日本という国を与(くみ)させる、そのことを金科玉条の課題とした政党であると、つまりは体制転換政党であると見られ続けているのだと思うのです。 レーニン主義批判に至っては、今日になって、ようやく、不破哲三氏が、『レーニンと資本論』という研究論文を公刊する中で開始し、その批判的検討に「お墨付き」を与えたところです。 このことがいまは、話題にもならないほどに、わが党内における「マルクス・レーニン主義」は、とっくの昔に風化さえしているのですが、しかし、「やっぱりレーニン主義も間違っていたのか」といった議論が、ごくごく小さな「声」として聞かれたりしています。このように、わが党内において、ようやくレーニン主義批判が「解禁」された格好となりました。 つまりは、こうした姿勢が、対応が、国民から、日本共産党を、何時までも「遠い存在」の政党と思わせてきた原因であったのです。国民との距離をいつまでも埋めることが出来ない最大の理由だと思います。 しかし、いまになっても、日本共産党は、61年綱領制定時から今日至る経緯の中で、コミンテルン型の前衛党として再出発したこと、また、「マルクス・レーニン主義」信奉型の党として、世界共産主義運動の一翼を担うという、ある種の「夢」を追いかけ、それが失敗に終わったことについての、総括ができないでいます。 それは、結局は、日本共産党が、マルクス、エンゲルスの思想と理論についての正確な認識も、また、レーニン主義の特異、特殊な革命論についての認識も、あるいは「マルクス・レーニン主義」がスターリニズムそのものであるといった認識も、できていなかったことを意味します。 そして、この「認識不足」についても、わが日本共産党は、正面から顧みることは避けつつ、その路線上の是正のすべてを、またもや不破哲三氏一人に押しつけてすまそうとしているのです。私にはそう見えます。ただし、不破氏は、そのことを由(よし)として、いま、マルクスから未来社会論を語ろうとしています。 私は、あえて、第一部の最終章で「精算」をあらわし、その意義をふまえての、党の再生を期したいと考えています。 そのことの意義は、日本共産党が、その社会変革の党としての「革命的伝統」を継承しつつも、そこから脱皮し、完全なる民主主義政党として再生することにあります。現実政党としての日本共産党に、私は、そうした器量がすでに備わってきていると見ます。そのじっさいの姿は、外からはよく見えていないようですが、私はそのことを日々実感しつつ活動しています。 その再生が、日本の古い政党政治の枠組みを大きく変えるにふさわしい「新しい型の政党」の誕生を意味するものだと思うのです。 そのことを国民は、強く求めています。大きな期待寄せていると思います。 ⇔
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