啓示>
「男と女の愛の定めについて」 …館和十宇
「俺は本当に妻を愛していたのか」と自問している君の姿を思い浮かべていたら、
ある物語が始まった。
「本当の愛」についての物語だ。
まず、その物語から受けた啓示から話そう。
自分の妻だからという理由で愛すのは、本当の愛ではない。
本当の愛があったなら、妻でなくても、彼女が何もしてくれなくても、愛すだろう。
もう妻でない女性に君が何もしたくないと思うなら、最初から彼女に本当の愛を持っていなかったからだ。
彼女は、そんな、愛のない君に耐えられなくなったんだ。
女性は自分を本当に愛してくれる男を求める。
じゃあ、彼女には君への愛があったのか?
それは男と女の、定めの違いだ。
啓示は次のように明かされた。
「この世で愛を探すために、女は創造された。
そして、この世で愛を実現するために、男は創造された」と。
女が愛を求めているから、男はそれに応えて愛を実現する。
だが男は女に愛を求めてはならない。
男にとって愛は求めるべきものではないからだ。
男が愛を探しても、この世には決して見つからないのだ。
男は愛を創造するために生まれてきたのだから。
自分で創造した分だけの愛を、眼前に見出すだけなのだ。
しかも男は何が本当の愛かということを自分では理解できない。
眼前に創造したものを女に与え、その女がこれは愛だと言ったとき、
男は初めて愛とは何かと実感できる。
女は愛を探す触覚と、何が本当の愛なのかを理解できる感受力を与えられている。
しかし自分では愛を創造できない。
神は、堕天使を愛そうとしたエデンのイブから、愛そうとする能力を奪ってしまったかのようだ。
男は愛を自ら創造する力を与えられたが、地上の女の目を通してしか、その愛を実感できない。
神は、堕天使の誘惑に勝てなかったエデンのアダムからも、
愛を自分の目で見る視力を奪ってしまったかのようだ。
しかも愛はそもそも、地上にはない。
人間以外の動物たちに本能としてプログラムされいるのは、あくまでも生殖本能だ。
その生殖本能から愛が生まれてくるのではない。
愛は、アダムとイブがそこから追放された楽園、つまり天界にある。
男は天界を憧れ、そこから金の卵を盗みだして、地上でその卵をかえさなくてはならない。
ジャックが牛と豆を交換したように、男は生殖本能を豆=知恵と交換し、
その知恵を天へと育て、知恵の幹を登って精神を天界へと至らせなければならない。
女は完璧な愛を男に求める。
男はそれに応えて世界の中に完璧な愛を創造しなければならない。
創造の源泉は天界にしかない。
女には「母性愛」と呼ばれるものがあると君は言うかもしれない。
しかし「母性愛」とは利己愛の変形でしかないのだ。
女が我が子を慈しむのは、自分の分身を愛しているのと同じである。
その「母性愛」は利己性から生まれる。
もちろん、利己性が石炭であるとすれば、「母性愛」はダイヤモンドである。
植物の化石が地中で何億年もかけて石炭になり、さらに何十億年もかけて、
ダイヤモンドに変容するように、生命を子宮にはらんだ女性は、9ヶ月以上をかけて
自らの利己性を「母性愛」へと変容させる。
だが石炭が燃えると人間の体には有毒なガスが発生するように、
「母性愛」からは、魂に有害な利己性が現れる。
「母性愛」を燃やすのは、憎しみだ。それも、男への憎悪。完璧な愛を創造しない男への憎悪だ。
その憎悪の熱が「母性愛」を燃やし、有毒な利己性のガスで子供の魂を腐らせる。
物語は、男が本当の愛を創造するために天界へと飛翔する話だ。
これをファンタジーにするか、シリアス・ドラマにするかを思案中。
確かなのは「ジャックと豆の木」のジャックは、あの母親を殺したということ。
それと、ジャックの父親はどうしたのか。
ジャックの母親と父親の別れから、物語は始まるだろう。