平田まさおの作品集
私の代表作(原点)です
妻が泣いた
妻が泣いた
「好きかってなことをして」
「毎晩帰りが遅い」
といって泣いた
水仕事で荒れた
両手で
二人の子の世話で
ぶこつになった両手で
顔をおおって泣いた
ちっぽけな正義感を持つ
夫を持った不幸を泣いた
長男が泣いた
たまのしつけの厳しさに
くやしさあふれて
夜泣きした
泣きやまぬ子に
また妻が泣いた
(1976年8月 同人誌『鼎(かなえ)』)
次は最新作です
連作・「食」の風景
1
紺地に金ボタンの上着
寸足らずのズボン
足元には砂ぼこりのバッグ
その人は
美味そうに
カレーうどんをすする
ひたたる汗をものともせず
ただひたすらにすする
すする
炎天下の工事現場に
彼の姿
2
鷲鼻の紳士が一人
トンソクと格闘している
首をかしげながら
一口ごとに噛みしめている
白いゼラチン質を
残したまま
骨の上に
骨を重ねる。
黒ずくめの正装の夫婦者
ビールをあおり
盛んに肉を喰っている
焼かれる前の
肉の色より赤い
女の唇
精進落としに
「野菜焼き一つ」。
ヒゲの濃い男は
肉厚どんぶりのクッパ
化粧の薄い女は
鈍く光る器の冷麺
肩から背にかけて
ツタのように
まとわりつく
髪の毛。
私たちの久しぶりの晩餐
タン塩、ミノ、レバー、ホルモン
それにカルビが定番
キムチ、ナムルもいつも通り
朝鮮焼酎をやり
「内臓の方が美味いよ」と
うんちくつまみに
アバンチュール。
人々の上に漂う
屠場労働者と
半島の人たちの
恨(ハン)。
3
小さい頃
刺身ご飯といえば
大変なご馳走
じょりじょりと
まだ凍っているのを
飯にのせて
何杯かのおかわり
出前をしてくれていた
魚屋の親父は
若いときの遊びがたたり
晩年
壊疽で両足を
切断
4
町には一間間口の肉屋があった
揚げ物担当の女将(かみ)さんの
金歯がいつも輝っていた
揚げたてのトンカツ
たっぷりの千切りキャベツ
経木に包み
それをまた新聞紙でくるむ
受け取った手に広がる
ぬくもり
浸み出たラード
5
缶詰の蟹
ではない蟹を
初めて食べたのは
山陰出身者の多い
診療所の
事務長に就任した頃
私鉄労働の蓄えを
吐き出しながらの
暮らし
6
駅から徒歩七分
高崎連隊近くの食堂は
兵隊と面会に来た家族で
敗戦の日まで
賑わっていたという
赤い縁取りの
焼豚が載るラーメン
甘辛だれに浸けただけの
小振りのカツ三枚のドンブリ
母が忙しいとき
小走りに調理場の小窓を開けて
注文した私たちの夕食
いつか
母と兄と妹と妻と
懐かしさを味わいに行く
食堂は昔のままで
何人かの客を今も迎えていた
食堂脇の路地の奥の
生まれ育った我が家は
すでに解体撤去
7
大雨の翌朝
僅かばかりの風に
我がざくろの枝が揺れる
緑の葉の陰から
採り残した
ざくろの実が三つ
上気した
顔をのぞかせている
8
コップの中で
食欲がぶつかり合っている
歯と歯が絡み合っている
真夜中の台所
水に浸した義歯
9
上州生まれの養父母を
喜ばすために
舌に残るおふくろの味を頼りに
お切り込みをつくる
スーパーで求めた
最上の煮干しで採っただし汁
それにも養父は
酢をかけて食べる
10
きざみ食は人間性の破壊
わが養父は
自らそれを実践する
何でも刻む
何でも入れてかき混ぜる
口の中にかき込む
ふるえる手で
権威主義の養父は
大学病院歯科で
インターンに
あちこちいじくり回された
義歯を
かばうように装着し
今日も夕食の膳につく
11
手は脇から挙げて
大きく胸元にもっていきます
手を合わせましょう
思い出せれば
般若心経の一節を念じましょう
食卓にたどり着くまでに関わった
すべての人々への
感謝の気持ちを込めて
大きく胸を反らし
食材の色と香りと形を
確めましょう
おもむろに箸をとりましょう
みそ汁ひと口
ご飯ひと箸
12
茶渋のついた夫婦茶碗
菓子のセロハン紙
食卓には茶話会の跡
早寝のツケを
ウヰスキーのお湯割りで払う私
真夜
老いに老いが重なる
我が家の台所
13
酒は止めな、とあれほどいったのに
おばちゃんいるかって、よく来てたのに
元気なときの顔を消したくないから
棺の顔は見ない
我が子のように
祭壇の陰から見送る老女
食鳥業の過去をもつ
一人の地方議員が逝った
あと数日で霜月
(1999年11月)
書評です
女性を高めるための教育システムの存在
『代議士になったパリの娼婦』を読んで
新聞の広告欄で興味を引かれ、ふらーっと立ち寄った書店で手に入れた一冊であった。少女時代から始まり現在に至るまでの、一人の女性の生き様が「ユーモアとウイットがいっぱいの軽快な調子(訳者あとがき)」で描かれており、原著を手にした訳者同様、私も一気に読み進んだ。
本は著者=ニコル・カスティオーニさんが、自らの半生を二人の子供に語り伝える形で書かれている。少女時代、アマチュアの写真家のモデルになったこと(生地であるジュネーブ)、スイスの国民的スターのスポーツマンとの初恋・結婚・破局。ファッションモデルへの転身、そして、パリ生まれの「ファッション業界の人」との生活。この「人」が彼女を麻薬漬けにし、やがて「ヒモ」として彼女を「ジルダ」という名でパリの街角に立たせることになる。この「人」との生活を続ける中で、この「人」と同様に麻薬中毒がエスカレートし、「薬代」を得るために、また、街角に立つという悪循環である。「同業者」である様々な女性や、種々の「客」との関わり、そして警察の手入れと、私たちが知る華やかなパリの片隅での、夜の世界のうごめきが読む者を圧倒する。
ほぼ経年的に描かれている彼女の手記の折り返し地点である「地獄の禁断症状(1984年12月)」で、大きな転機を迎える。「ヒモ」や麻薬との決別、「普通の仕事」「普通の暮らし」、「普通の人との結婚」、そして出産へと、話しは進む。やがて彼女は、労働争議審判所の審査官の職を得て、政治に目覚める。「こうして私は、自分が左翼陣営に属することを発見した」と独白するように、スイス社会党に入党。町議会議員を経て、1995年にジュネーブ州の州議会議員に繰り上げ当選を果たした。
私が感銘を受けたのは、パリでの「暮らし」に決別し、ジュネーブに戻ったあと、麻薬の禁断症状と闘う一人の女性が、職業を得るために自らの能力を高める種々の教育システムが、スイスという国には存在していることであった。そのための費用のことについては本書では触れられていないが、推測するに、多分、無料と思われる。つまり、本人の確固とした意志があれば、それを支える制度が用意されているということである。それとは比較にもならないわが国の現状である。著者のニコルさんは、社民党機関紙『社会新報』3月27日号で紹介されたが、超党派の女性国会議員の招きで、この程、来日した(『代議士になったパリの娼婦』・草思社刊 1500円)。