Monochrome theater 〜色無き世界より〜
file.007 : あの日あの時 〜上野×ムーンライトえちご〜
2004年6月5日・6日。
この2日間、JR東日本史上、最大規模の工事が行われていた。
「池袋駅構内線路切換工事」である。
2004年6月5日の初電から6月6日の終電まで、埼京線は赤羽〜大崎間で運休、
宇都宮線・高崎線が上野への行先変更や大宮での折返し運転となった。
湘南新宿ラインも同様の措置(南行側は品川への行先変更・大崎折り返し)が取られた。
工事の目的は赤羽上り線・山手貨物線の配線変更によるホームの方面別化。
具体的には赤羽上り線を現:3番線から現:1番線へ変更する。
これと同時に新設の山手貨物線立体交差線路へ変更をする。
また、山手貨物下り線を現:2番線から3番線へ、上り線を現1番線から2番線へそれぞれ変更する大規模なもの。
これにより、埼京線・宇都宮線・高崎線・湘南新宿ラインが
1・2番線<新宿・横浜方面>、3・4番線<赤羽・大宮方面>と方面別にホームが揃えられ、
更なる利便性の向上と運用の効率化、新宿方の平面交差の解消などが実施された。
そのための工事で、該当路線が2日間に亘って運休する史上最大規模の工事となった。

date : 04.06.05 上野
6月5日、時刻は4:50.
ある列車が到着間近と知りながら私はホームへ行く前に階段踊り場へ。
閑散とし、目を覚まして間もない上野駅コンコース。
頭上には初電の列車を筆頭に今日1日の列車案内を表示する電光表示板。
現在もこの景色は変わらず、そのままの空間が広がっている。
しかし、この景色が変わらなくとも、時は歩みを止めたりはしない。
よく見れば、表示板に案内されている列車の多くが廃車なり廃止されてしまっている。
東北線の三段目には115系を表す「11両」、高崎線の二段目には「横川行」、
そして全ての普通列車がグリーン車非連結、グリーン車マークの無い昔の風景である。
その中で今も唯一生き残っている列車がいる。
東北線の発車案内表示で最下段で案内を受け、2009年春のダイヤ改正で処遇が気になる“あの”列車である。
これがこの日のお目当てであった。
この2日間、池袋・新宿発着の優等列車は行先変更を余儀なくされた。
勿論、快速「ムーンライトえちご」や「フェアーウェイ」も例外ではない。
上野駅はこの2日間、かつての賑わいを取り戻すほどに列車が頻繁に発着していた。
普段発着が少ない地上ホームをフル稼働させるほどであるから、それはそれは賑やかである。
その先陣を切ったのが5日着快速「ムーンライトえちご 上野行」。
13番線に到着し、折り返し快速「フェアーウェイ」として運転された。
地上ホームに行先の変更であれ、485系の定期列車が入線するのは特急「ひたち」廃止以来なかなか無く、
恐らくこの時が廃止以来初の485系定期列車の入線ではないのだろうか。
更に補足を加えると、「ムーンライトえちご」が上野に顔を出すのは1年4ヶ月ぶりであった。
2003年に行われた前回の池袋駅工事でも「ムーンライトえちご」は上野駅へ顔を見せているのだ。
しかし、この時はまだ165系であった。この165系も定期列車の入線としては数十年ぶりだったのかもしれない。
なににせよ、485系定期列車の入線は今回が久しぶりなことに変わりは無かった。
私は無我夢中でその姿を記録しようと奔走していた。
「上野と485系国鉄色」、「上野とムーンライトえちご」のコラボを。
写真で最大限伝えられるアングルで攻め続けた。

date : 04.06.06 上野
そして2日間はあっという間に過ぎ去っていた。
6月6日、時刻は23:17.
私は再び上野駅にいた。
485系ムーンライトえちごが上野14番線から発車しようとしていた。
編成はML編成の補完車であるT−18編成。
発車時刻になると2人の車掌が乗務員扉と運転台から乗り出してきた。
今どき運転台から頭をだすこところはあまり見かけない。
それに加え、脇に荷物ホームが写る14番線でこのような決定的瞬間が撮影できたのだ。
私のテンションが最高潮になっていたのは言うまでも無い。
「ムーンライトえちご」はゆっくり動き出し、夜の上野をあとにした。
このカットは2日間通っただけの代償がとれたと思うほど気に入っている。
数少ないお気に入りなわけだ。
それから4年半。
「ムーンライトえちご」は2009年3月改正で臨時列車へ格下げされることが発表された。
定期列車として迎えた27年目に訪れた悲劇である。あと1ヵ月ほどで定期列車としての運行を終える。
これも時代の流れなのだろう。
また一つ、大事なものを失う気がしてならないのは私だけだろうか。
あぁ、なぜだろうか。上野の記録がどんどん大きな存在へと成長していってしまう・・・。